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アメリカで輝いている人 VOL.88

吉田 仁 さん ( Mr. Hitoshi Yoshida )
Y's Publishing Co Inc 代表取締役社長
 
アメリカで活躍されている方々にインタビューをし、その人の活躍の場、内容、素顔を通じ
よりアメリカを知っていこうと企画された “Brilliant People” 輝いている人!

第88回目に登場いただくのは
Y's Publishing Co Inc 社長 吉田 仁
さん です。

吉田さんはアメリカの駐在員に向けて全米17 都市の便利帳シリーズ、日刊紙デイリーサンの発刊の他 海外子女に特化したコンサルティング業務、帰任者向け帰国便利帳発刊など日米の架け橋として多分野にてご活躍です。

−経歴−

1965 年  新宿区飯田橋生まれ
1988 年  日本大学 建築学科卒 渡米。建築家を志すが途中で断念
1989 年  第 41 代 George H W Bush 大統領就任に伴い、 宝くじ抽選による米国永住権を取得
1990 年  NY の日系出版社 UJP に入社
1995 年  起業  Y's Publishing Co Inc 設立 29 歳。全 米 17 都市の便利帳シリーズの発刊
1998 年  東銀座に友人 2 人で広告代理店 Media Apple 社を設立
2003 年  日刊紙 デイリーサン 「 Daily World Press Inc 」 設立
2006 年  週刊紙 ビジネスニュースを買収。同年 4 月に売却
2007 年  中学大手進学塾 日能研との合弁会社 ワイズ パブリッシング ジャパン株式会社を東銀座に設立
2007 年  海外子女に特化したコンサルティング業務及び年間誌 帰国便利帳の発刊
2011 年  インターネット学習塾を現在考案中


アメリカに来たきっかけは

僕は 日本大学 で 建築 を専攻していました。卒業したら 建築家 になるつもりでいましたから第一志望として 三菱地所に入りたかったのですが、成績も良くなかったですし、書類選考で落とされてしまいました。

こんな言い方は失礼ですが、本来入りたかった会社ではないところからは内定を頂いたのですが、自分の気持ちとしては不本意で、そこに入社しても納得はいかないと思い辞退しました。後輩の事もありますから、 人事課長のところに親を連れていき、 家業を継ぐことになったと偽りはしましたが、 丁寧にお断りさせて頂きました。

アーティテクトになりたいという思いはなくす事は出来ず 、本場のアメリカの建物を見てみようと思い、 卒業旅行を利用して観光ビザでロスにいる先輩を訪ねていきました。

そこで 成功した先輩を見て 「アメリカに行こう」 と心に決めました 。アメリカに行けば箔がつく。そうすれば再就職も有利だろう。本当にそんな単純な動機です(笑)

それでは最初のアメリカはロサンゼルスだったんですね

そうですね。 ロスにいた後 3ヶ月後にはシカゴに行き暫くそこで生活をしていました。

アメリカに行く時に親父から 「アメリカに行ったら乗用者など買うな、バンを買え。いざという時には引越しのアルバイトも出来るし、最悪そこで寝泊りも出来る...」 そう言われたんです。ダテに長生きしていない親父の的を得たアドバイスでしたね。本当にその通りになりましたから...(笑)

観光ビザの期限も切れ、その後日本に戻る事になったのですが、先輩の仕事の手伝いをしていただけで、本来の目的であった建築の仕事も勉強も何も出来なかった事が悔しくて、日本に戻ってから昼夜を問わずアルバイトをしてお金を稼ぎ、 89 年1月に再びオヘア空港に降り立ちました。

先輩に 「 シカゴはどうですか?」 と訪ねたら 「シカゴは寒 む過ぎる 」 と言われ、車でニューヨークに移動しました。 この時も車での移動でしたから親父に感謝です(笑)

ニューヨークに着いて真っ先にやった事は紀伊国屋書店に行っての情報収集です。その時店の人に進められたのが、 NY 便利帳 VOL.5 です。これが便利帳との初めての出会いですね(笑) そして便利帳を使って片っ端から建築関連の所に電話をしまくりました。

ある家具屋へ電話をしたら、そこは駄目だけど別の所を紹介してあげると言われ訪ねて行きました。当時アメリカは不況でどこも日本から来た若造を雇ってはくれませんでしたが、そこは車を持っているんだったらと言われ即採用となりました。

今でも思い出しますが、 藤田観光の当時 建設中だった椿山荘 (旧:松島レストラン) の建設に携わりました。毎日毎日ユニオンのデッカイ奴らと一緒にシートロックやガラスを運びました。

宿泊は格安のモーテル 6 を使っていましたが、 それでもホテル代を浮かせたくて車の中にシングルベッドを積んで後部座席を部屋代わりに使っていました(笑) そんな生活を 1 年近くやっていましたねぇ ホームレスの走りですね(笑)

最初は建築家になりたくてアメリカに来たのに、出版界に入ったのは何がきっかけだったのですか

こんな事をやる為にアメリカに来たわけじゃない、こんな事をしていてはいけないと思っていた矢先 ビジネスニュース支社長の伊地知さんが独立し、US Japan Publication NY Inc.を設立させたばかりで元気のある営業の出来る人を探しているという話を聞き訪ねて行きました。

社長自らがダイレクトメールに切手を貼っていて、出来たばかりの会社なんだなぁという印象を持ちました。

随分熱心にお誘いを受けましたが、私は実家が印刷業なものですから出版関連で働く気持ちは全くなかったのでお断りをしていました。 3 度目に食事に誘われた時に経験もない小僧に何で声を掛け続けてくれるんだろうと考えているうちに、いつの間にか社長に惚れてしまって(笑) それがこの業界に入るきっかけです。 89 年の10月頃でしたね。

観光ビザでアメリカに入国され、その後永住権はどうされたのですか?

1989 年 ブッシュのお父さんが大統領になった時に恩赦のような形で OP1 という第一回目の抽選永住権が開始されたんです。その時は 1 人 1 通どこからでも応募が出来ました。今のように抽選永住権がポピュラーになる前ですから、誰も知らなかったんじゃないですかね。私は日本の住所を使って応募したんですが、そんな事もすっかり忘れていました。

ある時日本から連絡があり、英語で書かれた書類が届いている。何か重要なものらしい事は分かるが、読めないのでなんだか分からない。お前何か悪い事をしたのか? といった内容でした(笑)

そんな事でアメリカに来て 1 年ちょっとでグリーンカードを手にしたんです。

独立は最初から考えていたのですか?

そうですね。サラリーマンは 1 日も早く辞めたいと思っていましたから、面接の時も力を付けたら辞めると言ってい ました。それがかえって気に入られた原因だったようです(笑) それで色々と教えてやると言われ、随分とお世話になり 5 年半一緒に仕事をさせてもらいました。

僕のように経験のないものでも広告が取れる。取れると楽しい。この仕事って楽しいんだなぁと思い出し、出版の世界で頑張ろうと思いました。

起業 されたのは何時ですか

1995 年29 歳の時です。 3 月 1 日に今の Y'S Publishing を設立しました。

私は 26 歳で結婚しました。嫁さんは結婚したら仕事はしないと言っていましたから、本当に仕事はしない(笑) 当時給料が安かったので、クレジットカードを使って欲しいものは買うといった誤魔化し、誤魔化しの生活をしていました。

4 万ドルくれなかったら日本に帰ると嫁さんに宣言して臨んだ年1 回の給与交渉の時に 4 万 200 ドルを提示され残る事になったのですが、もう 30 歳になるので独立したい。 49% 株を持ってもらい子会社で良いから独立させて欲しいと社長に話したら 「そんな歳になったか」 と了解してくれました。

それではスムーズに独立出来たわけですね

それがそうでもなかったんです。一時了解してくれたので、日本に帰り資金などの事も含めて親に相談したところ、親父からは甘いと言われ断られたのですが、母親が親戚にお願いしてくれて 1,000 万円借りる事が出来ました。

資金の目処も立ち、ニューヨークに戻り伊地知さんに報告すると急に態度が変わり 「それ本当だったの?」 と言われ、随分反対されました。こちらもここまで準備をしてきましたから後には引けず、結局押し切って独立する形になりました。

こんな若造が独立するにも自分の親に近い歳の人が真剣に対応してくる。これが良い刺激となり、こちらも真剣になる。 その頃は 「何で?」 と思っていましたが、 今ではとても感謝しています。

独立されて最初にやったのが便利帳ですか

当時便利帳はなくなると言われていました。たけしの平成教育委員会という番組があったのですが、そこからヒントを得て NY 教育委員会という名称で同じような事をやろうと思っていたのです。きちんと筋だけは通しておこうと思い、便利帳の創業者に挨拶に行きました。それだったら便利帳を引き継いだらどうだとアドバイスを頂きました。

彼は入院をしていたので病院にお見舞いに行き、その時に色々と話をしました。「お前はいくつだ」 と尋ねられたので 「 29 歳です」 と答えたら 「俺が始めたのは 26 歳の時。これを譲るというのは嫁に出すようなものだ」 と言われ涙を流されました。

口は悪かったですが、良い人でした。それが縁で 1995 年に便利帳の版権を買ったんです。それがきっかけで会社はぐっと成長しました。

経営者は孤独と言いますが、アメリカで 起業すると余計に感じるのでは?

親近者であればあるほど反対意見を言ってくれます。もう決めている時は反対意見ってうざいですよね。だから私は 3 原則を決めているんです。「誰にも言わない」「聞かない」「見ない」 やる時はしたたかに、ひっそりとです(笑) そういう意味では孤独なんですかねぇ

それに僕自分勝手ですから(笑) 自己分析すると「頑固」
歳とともに もっと頑固になっているような気がします。どーしよう(笑)

初対面の時はソフトな印象を持ってくださる方が多いのですが、実はそうでもないんです。年上の方にも最初は随分と可愛がって頂けるのですが、最後はあまりに頑固で言う事を聞かないから切られる事が多いです(笑)

どんな経営ビジョンをお持ちですか

小さな会社にいる意味は何か? 安定した生活を望むのであれば全く意味がないんです。自分は何が出来るかを真剣に考える。野心を持つ。それがなければこんな小さな会社にいる意味がない。考え方としては分社化していきたいと思っています。今の社員を全員社長にしたいと思っているんです。

僕が色々やって失敗した事が沢山ありますが、社員としては 「 そんなお金があるんだったらボーナスをくれ 」  と思っているかもしれませんが、何も言いません。

アメリカにいるのだからアメリカ人と商売しろと言われ続けていますが、結局日本人マーケットにいる。

今回の教育に関しても、 10 人に話すと 10 人が良いねぇと応え、誰も否定しない。実はそれは上手くいかない予兆なのではないかと、肝に銘じて気を引き締めている所なんです。この教育関連はここ 10 年 自分のビジネスの集大成としたいと思っています。

良いというのは皆考えている。競争が生まれる。

駄目なものは工夫によってどうにでもなる。競争がなければ勝ちやすい。出版は誰も駄目だと言ったのでチャレンジし甲斐があります(笑)

それとビジネスは資金。お金という事をずっと見てきました。地元に5 店舗あった本屋さんが紀伊国屋が出て 1 軒潰れ、旭屋が出来て 1 軒潰れる。 資金力のある所にどう対抗していくか。アイディアと熱意、誰もやらない事をやっていく。そんな事を常に考えています。

今までで一番大変だったことは

僕自身は好きなことをやっているので、大変な時期というは、何時も大変なのであまり時期は関係ないような気がします(笑) やはり社員の一人一人が僕と同じように本作り、新聞作り、が楽しくなるにはどうしたら良いのか? どうやったら異体同心で会社として前進できるかを考えております。 1 にも 2 にも「人」の悩み ... これに尽きます。

そうでは、無いですか?

この悩みは今も継続中ですし、永遠の悩みかもしれません。

後継者問題はどうお考えですか

世襲というのは印刷業にはありますが、出版にはありえないと思っています。
私の息子は今小学校の 4 年生ですが、彼が成人した時に継いでくれたら嬉しいなぁと思いますが、そこまでの会社に育てられるか? 常に自問自答しています。

息子がお父さんの会社を継がして欲しいと言ってくれる規模の会社に育てたいというのが今の夢です。そして息子にそう言わせておいて 「駄目だ」 というのが密かな楽しみです (笑)

教育関連ビジネスに入ったのは

10 年前に帰国便利帳を発刊しました。今までの便利帳は赴任者を対象にしたものでしたが、時代変遷もあり今は赴任よりも帰任者が増えています。今までの便利帳にはない帰任者向けの情報誌の必要性が出てきたと感じています。

そんな中で子供の教育についての悩みが一番多い。教育関係半分、引越し関係半分の 2 段構えで構成を考えていますが、その教育分野を日能研のシンクタンク コアネットの室長である宮本さんが受け持ってくれると言って頂いたのがきっかけです。

日能研の会議で 「インターネットの時代に 紙媒体で 成功を確信する裏づけは何か」 と 日能研のある役員から質問され、少々カチンときて 「裏づけがあったら誰でもやる。それがないからやるんじゃないですか」 と言ったんです。

後で分かった事ですが、僕がどういう性格か試されたようです。でもその熱意は伝わるので一緒にやろうと言ってくれました。最後に 「でも上手くいかないと思いますよ」 と言われたのが印象的です(笑)

日能研は思いのある人を助けてやるという会長の気持ちが社内に浸透している会社だと感じます。

成功の秘訣

僕は決して成功しているわけではないので、そんな大それた事は言えませんから、生き残っていく秘訣としてください。

そこはやっぱり思いのある商売をしている。好きなんでしょうね。金儲けを考えている商売は全部失敗しています。今のご時世 思いだけでやっていけるかは不安ですが、僕の思いが社員にも浸透してきた気がします。昔は自分が自分がと言っていたけど、社員に任せていけるようになりました。

それと競争心ですね。 NYの出版の中でも競争が激化している中で知らぬ間に自分が年長者になっていた。絶対に負けたくない。負けられない。若さのパワーが怖かったのかもしれません(笑)

どのようにストレスを発散していますか

仕事のストレスは仕事で発散しようというのが私の考え方なんです。我々のビジネスの根幹は広告取りです。広告が取れない事がストレスだったら、 4-5 軒断られて落ち込んでいても 6 軒目に取れたら、その前の事は全て忘れてしまう。我武者羅に取れるまで頑張る。それの繰り返しですね。っていうと格好つけ過ぎですかね(笑)

プライベートでは僕は酒が飲めないので、酒によるストレス発散は分かりませんが、皆で陽気に騒ぐ雰囲気は大好きです。ゴルフはやりますが、余計にストレスが溜まりますねぇ(笑)いずれにせよ仲の良い人達とワイワイやるのがストレス発散でしょうか。

それと子供とサッカーをやっている時もストレス発散になっているのかもしれません。

本日はご多忙の中、貴重なお話を聞かせて頂きまして有難うございました。

インタビュー後記

吉田社長には随分とお世話になり、世代も近い事もあり仲良くさせて頂くと同時に良い刺激をいつも頂いています。

情熱的で信念がしっかりしている。これをやると決めた時の勢いと思い切りは凄い。今回色々とお話をお聞きして改めて素晴らしい経営者と感じます。

ビジネス、社員、クライアント、友人 人の悩みは尽きないとおっしゃっていましたが、これほど人を大切にしている方だからこそ生まれる悩みなのだろうと思います。

今回もとても魅力ある方のお話をお聞きする事が出来ました。
これからも良い刺激を与え続けてください。

関連リンク

Y's Publishing Co Inc   http://www.us-benricho.com/

取材・文/小坂 孝樹
 

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