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アメリカで輝いている人 VOL.78

松田 鉄雄 さん (Mr. Tetsuo Matsuda)
バイオリン製作者  

 
アメリカで活躍されている方々にインタビューをし、その人の活躍の場、内容、素顔を通じ
よりアメリカを知っていこうと企画された “Brilliant People” 輝いている人!

第78回目に登場いただくのは
バイオリン製作者の  松田 鉄雄
さんです。

松田さんは本場イタリアで修業の後、数々の国際ヴァイオリン製作者コンクールで受賞。世界的名評価を得ています。
多くの著名な演奏家が松田さんの製作した楽器を演奏しています。
現在シカゴ郊外の高級住宅街にて製作活動中。

−経歴−

1945年 5月21日 秋田県生まれ。
1963年 大館鳳鳴高校卒
1965年 茶位ギター、バイオリン工房 弟子入り
1976年 茶位工房退職
1977年 Cremona Italy 、国立バイオリン製作学校入学
1981年 Henryk Wieniawski(Poland) 国際バイオリン製作者コンクール  5位入賞
1981年 Cremona Italy ,国立バイオリン 製作学校卒業
1982年 Antonio Stradivari 国際バイオリン製作者コンクール バイオリン 2位 銀メダル / ビオラ 2位 銀メダル
1983年 渡米(Chicago)、W,H,Lee Co 入社
1984年 VSA国際バイオリン製作者コンクール(USA) バイオリン 金メダル / ビオラ 金メダル
1992年 W,H,Lee 退社
1993年 Matsuda Violin Studio,inc として独立
1995年 International Hindemith Viola Festival (London)
1995年 12人のヴィオラ製作者の一人として 招待うけ出席、出品
2006年 Henryk Wieniawski 国際バイオリン製作者コンクール(Poland) 審査員勤める
2009年 大館市にバイオリン寄付、そしてその披露コンサート(佐藤久成氏)
007年 


何故バイオリン製作者になろうと思ったのですか

僕は子供の頃から1人で何かをやるようなことをずっと思っていました。家も貧乏で百姓の手伝いをしながら山のてっぺんを見て 山の向こう側には何があるのかなぁ と憧れているような少年でしたね。

将来できれば一人で出来る仕事がしたいと考えていました。すぐ近くに指物師がいて時々訪ねて邪魔をしていて いいなあと思っていたので その影響もあるかもしれないですね。

勉強もあまり好きではないし、経済的に高校へいけるかどうか分らない状態でしたが 長兄が中学校卒業間際になって公立高校に受かるなら行ってもいいというので 試験受けたら運良く受かった。勉強しないからやっと卒業しました。

卒業の時に就職の世話もされましたが、就職してしまったらそれで全てが終わってしまうような気がして東京に行ったんです。兄が2人東京に行っていたので そのアパートに転がり込んで2年間土方などをしながら何をしようか考えていたのです。

たまたまアパートの家主が兄の友人ですぐそばにバイオリン工房持っていて時々覗いておりました。その家主も時々我々の部屋に来ては一緒に酒飲んだりおしゃべりしていました。

ある時 ” 松田 俺と一緒に楽器作らんか? ギター作って稼ぎたいし おれの兄貴も一緒に仕事するから ” というので ” やってみるか!音楽嫌いではないし、、、。” というので弟子入り。

当時バイオリン製作で生活するというのは皆さん大変厳しかったが  映画 ” 禁じられた遊び ” のテーマ音楽がギターで奏でられ大変なギターブーム、ギターがどこでも飛ぶように売れていました。僕もあのように弾けたらどんなに気分いいことだろうと思いながら ” 禁じられた遊び ” のテーマ音楽を感動して聞いていました。

音楽には興味があったのですか

音楽は子供の頃から好きでした。師匠を紹介された時も楽器作りも面白そうだと思い、親方に話して弟子入りさせてもらったのです。

田舎では大人の楽しみと言えば酒を飲むか 宴会で民謡を歌うか踊る、それに流行歌 特に演歌などよく聞えてきてました。ラジオなどでもよく聞きました。東京で兄と暮らすようになってクラシック音楽を聴くようになり おもちゃのようなステレオを買って かぶりつくようにして聞いてました。

何かご苦労はありましたか

技術的には難しくても目的がはっきりしているので全く苦に思わなかったですね。一番苦労したのは親方との人間関係。後輩との間に入ってバランスをとるのが大変だった。

11年間僕が一番弟子でしたから 入って来たばかりの新米弟子を横に置いて教えながら仕事しておりました。師匠は営業その他のことで忙しいものですから、後輩が失敗すれば残業して直し次の日に支障をきたさないようにしなければなりません。 僕自身目いっぱい仕事を持っていますから良く働きました。それが今役にたっている。

11 年間働かせて頂いて技術的には何とか師匠に近いレベルまで来たかなと、、、、、、。
経験は超えられないが、差は埋められたと思います。

どれくらいでバイオリン制作は出来るものなのですか

楽器の形は1年くらいで真似て作ることは出来ます。プロが見てもいい仕事をしていると分かるまでには5年くらいやれば ある程度のレベルにはなれるし、言われたものは作れるようにはなります。

何の世界でも同じですが、味が出るまでには何十年もかかりますね。

ヨーロッパに留学されていますね

イタリアの学校に行きました。ドイツには有名な学校があるのですがつてもないし、語学も出来ない。試験も難しい。

兄が彫刻家でその弟子が 石彫やる為にイタリアのカララ(Pisaの近く)にいっておりました。 近くの山全体が大理石で ミケランジェロが石を取りによく来ていたそです。その弟子が汽車で数時間かけてクレモナの学校を訪ね願書を送ってくれました。

イタリア語の勉強のためテープを1セット購入して勉強をしようと思いましたが、仕事も忙しくて全然出来ない。それにバイオリンのレッスンも取っていましたから、時間が全くない。

その学校は国立だったのですが、たまたま無試験だったので入学出来ました。日本でいう職業訓練校のような感じでしたね。イタリア人は 14 〜 15 歳くらいの子達が入ってきます。僕はすでに 30 歳を過ぎていましたが、 まじめに出席してあまりひどい成績でなければ卒業は出来るだろうと楽観的でした。

先生も言葉の問題なども含めて その辺を分かってくれていましたから私を含めて 3 人いた日本人はしょうがないなぁといった感じで大目にみてくれていましたね。

イタリア語はどのようにして勉強されたのですか

イタリアへ行った時はほとんどしゃべれなかった。スペイン人、フランス人、メキシコ人など半月から一月くらいでなんの苦労もないように話しているのを へ〜ッ感心しながら見ていました。

イタリア語のクラスでときどき先生が日本人 3 人だけ残し(他の外国人追い出し?) さてどんな授業になるかと思っていると 先生の雑談で終わるだけでした。先生も働く気はないし我々も勉強など嫌でしたから よかったのですね。

僕はそのときすでに結婚していたので家では日本語でしたから僕が一番イタリア語が出来なかったですねぇ その分絶対に先生には逆らわない(笑) 仕事は一番出来ました。

イタリアでの学校生活は如何でしたか

1 , 2 年生の頃、 友人と一緒に歩いていて 置き去りにされる夢を見ました。待ってくれと這いつくばって、待ってくれと叫んでも 誰も待ってはくれない、冷や汗をかいて目を覚ました。このような夢を何回も見まして どうしてなのだろうと考えていました。その答えは自分は楽器は作れるが 楽器のことは何も知らないと言うことでした。

先生に教わったことをやっているだけではどうしようもないと考え 自分の頭に浮んだことをどんどん試していった。その楽器を売って生活費稼いでいたのですが 安かったから多少出来が悪くても大目に見てくれる。

放課後は家に飛んで帰り勉強そっちのけで月 1 本のペースで楽器を作っては売り、生活費を稼いでいました。バイオリンを 1 本製作するのに 150 〜 200 時間くらいかかりますから、 1 ヶ月に 1 本バイオリンを製作するのは結構大変な事なのですが、僕にはその技術があった。放校されたらしょうがないと覚悟をしていましたが、日本人は真面目にやっていましたから揃って卒業出来ました。

このイタリア時代が僕には一番楽しかった時代です。よくパ−テイをしました、招待したりされたり 皆で飲んでドンちゃん騒ぎもよくしました(笑)

イタリアバイオリン製作学校の卒業試験について

4年になって 生徒の数も入学時の3分の1(約25名?)と減っており イタリア人と同じクラスになりました。あるイタリア人生徒が今日は自分の誕生日だというので製作授業のときワインの大瓶買って来てパーテイ始めました。先生も苦笑いしながら皆とおしゃべり、、、、、、、。

それに味占めて 次は誰だ、何時? ということになり 何回も 教室でパーテイをしました。イタリア人生徒は若い(19歳前後)ですからよく人にいたずらして喜んでいましたネ。

この学校は日本で言う職業高校のようなものですから イタリア語、歴史、音楽、数学、物理、簿記、楽器製作、、、、、、、、色々とありました。卒業試験は製作以外の科目はすべて口答試験、 初めてですから見当が付かないので心配していたら 日本人だけにそれぞれの科目について10枚くらいずつプリント(びっしり書いてある)をくれました。試験官が聞きたいことに対する答えでした。

試験は一日一科目ですので 必死で丸暗記するのですが普段イタリア語を勉強してないので なかなか暗記できない。前の日は徹夜で取り組むが 50%くらいしか暗記できない。 試験は一つの教室に全卒業生集めて 真ん中に大きなテーブルすえて先生が座り一人ずつ呼び出して皆の注目するなかで質問するのです。中にはしどろもどるになって答えられず ” お前何勉強してきたのか ” と言われた生徒もいました。見てるだけでどうなることかと冷や汗。

僕の番では 先生がくれたプリントの1ページから順番に質問してくれましたので ゆっくり正確に時間かけて答えていきました、50%しか暗記してないので時間稼ぎです。最後の10ページ目から質問されたらお手上げでしたが、、、、、、、、。イタリア人には人によって違う質問しました。

半分くらいまで来て ” 松田 お前はよく勉強したもういい ” と褒められ 他の生徒達に向かって ” 松田を見ろ! なんだお前達は、、、、 ” と怒る先生もいました。 なにせろくにイタリア語を勉強しないやつが完璧なイタリア語で完璧に答えるのですから(あたりまえ !)
こんなかんじで全科目乗り越えさせていただきました。

一人の日本人生徒は日常会話はけっこう上手くなっておりましたので 僕のイタリア語を馬鹿にしていて 俺はイタリア人と同じようにやると言って厚い本勉強してましたが 先生のくれたプリントを全く勉強してないのでまともに答えられなく ” お前何やっていたんだ ?” と怒られておりました。

製作試験に関しては学校外から有名な先生が来て審査委員長として採点しました。僕はクラスの先生(正確にカチッと仕上げる)のスタイルで作るのが一番いいのだと考えて仕上げましたが 外からの先生は全く異なったスタイルで製作する人でしたので ” 松田は正確に仕上げているがバイオリンのこと知らない ” と言ってかなり低い点をつけたらしいのです。が 学校の先生達は僕の仕事をしっていますので 松田は良く仕事が出来るからというので合議の上で わりといい点にしていただけました。

試験が終わったあとすべて採点したものを廊下の壁に貼り公表しました。僕はすべての科目で1番か2番、総合点でも同じでしたので あの松田が? と皆一様にびっくりしておりまして、 ハハッハァーーと皆大笑い !  不公平だと騒がないところがまた面白い。
イタリア人と同じように試験受けると言っていた日本人 日本人仲間内で酒飲むと ” お前馬鹿だなー、せっかくの先生の好意を無視して!” と酒のさかなにされていました。

根のいいやつでしたが 帰国して亡くなりました。合掌。 このようにして試験を無事終えましたが 表彰式というのも、卒業式というのもなく、卒業証書は数年後に学校を訪ね 小使いのおじさんから ホィッ と渡されました。 日本では考えられませんネ。

イタリアに感謝します。

バイオリン奏者になろうとは思わなかったのですか

良いバイオリンを作るためにはある程度自分がバイオリンを分かっていないと出来ない。自分がプロの奏者になろうとは全く思わなかったですが、プロの奏者は何を要求するか分からないといけないとは思いました。ですから当時のN饗のメンバーだった堀江さんに習っていました。1レッスン¥ 3,000  高たったですねえ(笑)

音の出し方を中心に習いました。 1 人で晩飯を作って食って、眠くてしょうがない中で 20 〜 30 分毎日弾く。

奏者になる為には 4, 5 歳からがっちりやらないと難しい。 10 歳じゃちょっと遅い。それに練習は毎日最低でも 4 〜 5 時間はやらないといけない。しかもよっぽど上手くないとソロは無理でしょう。

言葉と同じですが、小さい時からやると考えずに自然に音と体が動く。私は 20 歳を過ぎてから始めて 仕事も目いっぱいありましたからどう逆立ちしても無理。レベルが違いすぎます。

良いバイオリンとそうでないものとの違いは何ですか

音が一番大事。学生の時は製作技術は学んでいても 本当の音 つまり名器の音を側で聞いて、また自分でも弾いてみる。また自分の楽器と直接比べるチャンスが無い。

コンサートに行けば名器の音を聴けるのですが 自分の楽器をコンサートで使う人がいないからホールではどのように違うのか見当がつかない。製作技術の高い人たちのほうが 良い音だすことが多いですが そうでない例もたくさんあります。僕は両方高めたいと思いますがこれが難しいです。

古い楽器が音がいいからと同じように板を薄くすると楽器がへたりますが 古い名器は最初からいい音していたと思います。
法隆寺を作ったヒノキは 300 年経って強度が 30%  増す。 1000 年で下がり  1300 年でもとの強さに戻ると言われています。

楽器はその半分としても大変なもの。何百年経っても弾いてもらいたいと思って作っています。

僕の場合は僕の作りたいものを作る。バイオリン、ヴィオラ、チェロなど楽器の大きさによって音が違いますから バイオリンの良さを他の楽器でも試して見たり、その逆をやったりして良いか悪いかを研究していく。

自分の楽器でも厚さの取り方、ふくらみ、材質、型、ヴァ二ス少しずつ違いますので同じものは決して作れないんです。

シカゴに来たきっかけは

同じ学校の1 , 2年上の人がシカゴ出身だったんです。最初は考えていなかったのですが、オールド 名器を研究したいと思った時に名器が一番あるのがアメリカだった。クレモナに行っても触れない。勉強にならない。だったら修理専門のところに入ってしまえば触れると思った。

そこで彼に僕もアメリカに行きたいので何処か雇ってくれるところはないかと相談したところ、紹介されたのが W.H.L ee ( ウィリアム・ハリス・リー )社

Bein & Fushi という Old Violin,Viola, Cello 販売と修理専門店には名器がたくさん来るので入社できればとお願いしたのですがダメでした。W.H.Lee社は新しい会社で 楽器の生産のみ、社長が自社製楽器を車に積んで全国駆け回って売っておりました。もちろん Bein & fushi にも売っていました。

僕は Bein & Fushi のすすめでオールド名器のコピーをやり 出入りできたのでストラデバリをはじめとする名器を見せてもらえた。 ストラディバリウス を修理していて開けているものはシークレットで見せてもらえなかったけど、完成したものを見て弾かせてもらえました。競争の世界ですからシークレットは誰にも教えない。ここで何を盗むかが肝心です(笑)

制作研究されたものは沢山ありますが、みんな秘密は教えて欲しいと思っていても 肝心のところは誰も教えてくれない。人に教えてもらって良いものをつくろうなんて考えは虫が良すぎる(笑)

ただ今は古い楽器の厚さを測ったものはデーターや本として出ています。同じように作っても材料が違うので音が違う。同じものは作れないんですよ。

弟子はとらないのですか

僕はそこまで余裕ないですね、まだまだ未熟ですし これからの残りの人生でどれだけのよいものを作れるかということで頭がいっぱいですから、、、、、。 リタイアしたら弟子取るかな?

欧米では名前だけで楽器買う人は少ない。 何本も比べて 気に入ったものを1本買う。何年も探してやっと巡り会えるのです。残念ながら日本では名前で買う人が多い、特にアマチュアが、、、、、、、。 イタリア名でさえあればいいのです。

いろいろな賞を受賞されていますね

これまで、たまたま手元にあったものを出して賞を頂きました。僕も生活していかなくてはなりませんから、コンクールの為に 1 年前から用意して置いておくわけにはいかないのです。常に生活に追われていますからね(笑)

僕の英語力じゃ相手をおだてていい気持ちにさせてあげられないし、その気もない。小さな部屋とホールなど違った場所でも音が違ってくるので弾いて確かめないといけない。 1 週間くらい置いておいて弾き比べてもらって売れない時はがっかりしますよ(笑)

僕は修理をせず製作だけしかしないので年間 20 本くらい作ります。他の競争相手は年間 10 本くらいじゃないでしょうか。

良いものが出来たからといって賞を取るためにおいて置けないのが実情です。こういう不況の時期だから あまり売れませんから今は色々と研究しています(笑)

今年 6 月 シンシンナティで開催される ヴィオラ コングレス ( Viola Congress )には 世界中から有名な演奏家が集まって来るので、いいヴィオラを持っていきたいと思っています。

松田さんのバイオリンの 胴の内側に Tetsuo da Hadachi とサインを手書きしていると聞きましたが

はい。自分が作った証ですね(笑)  直訳すると「羽立の鉄雄」。
羽立は生まれ育ったところです。

ある奏者が 1800 年代のイタリアの名器と僕のを比べてインベストメントの為にイタリアの方にした。がっかりしますよね。有名な人はオールド、名器に行っちゃうからね(笑)

楽器はいいのにめぐり合ったら無理してでも買うのがいいです、あとで同じの作ってと言われても 2 度と作れませんから。

成功の秘訣を教えてください

僕自身成功してるのかどうか分らない。 ある程度はその人の才能が必要でしょうけど、それは 1 〜 2%  あとはくらいついていく、諦めないでやる、それしかないような気がします。

そうやって 10 年− 20 年やっていれば途中で脱落していく人もたくさんいる。
いままで辞めようと思ったことはないですが、厳しいなぁと思ったときはあります。

普通の楽器屋みたいなものを開こうかと思ったこともありますが、そうするとそれに手を取られて楽器が作れなくなる。自分で製作だけやっていれば誰からもこづかれないし、出来不出来は自分の責任。女房に言わせるとあなたは寝すぎと言われます(笑)

アメリカに 20 年いますが、楽器の進歩は難しい。どんなに出来たと思っても、 20 年前のものに負ける時がある。そういう時は 20 年間何をやっていたのだろうと思いますねぇ。若い頃コンクールなどで入賞した人の中にも 30 年、 40 年やっているとそう思う人は沢山いると思いますよ。

それと東京に出た時に母親から 「一人前になって自分でちゃんと生活出来るようになるまで 絶対に帰ってくるな」 と言われました。この言葉がいつも僕の背中を押してくれています。この話を兄に話したら 俺にも言って欲しかったと言っていました(笑)

楽器製作に人種は関係ない。その人の問題。一生懸命研究している。ただ研究しているだけじゃなく、名器を見て聴いて、そこから何を吸収して自分の中に音とイメージが沸いてこないといけない。

僕は名器の写真を近くに置いて常にイメージしてる、本物があれば一番いいのだが、、、、。名器を見てるとこんな楽器を作りたいと思うと言うか励まされるというか、そんな感じがする。

僕の楽器で録音した CDは上手い下手関係なく出来るだけ集め、時間のある時は有名人が弾く名器との聞き比べもよくやります。 そうすると名器でもあまりいい音ではない(多分録音のせい)もあれば、自分の楽器でも いい音してると思うこともある。 CDに入れた時一般的に新しい楽器は名器に比べてどこかざらつい感じがします。

金も無い学歴もない 海の物とも山の物ともつかない僕と一緒になり 側面から支えてくれた家内には感謝しています。そして これまで僕を励まし支えてくださいましたすべての人、顧客にこの場で感謝させていただきます。

お薦めスポット

ロックフォードの日本庭園なんて素晴らしいと思いますよ。

バイオリン以外に何か趣味は

合気道をやっています。20 年以上やっていて参段です。 ガレージの横に道場作ってありますが膝を悪くしたのであまり使うこともなく 水曜日週一回知り合いの奥様たちに易しい護身術を教えています。その後 他の友人中心に西野流呼吸法もやっております。またバーリントンにある テコンドウの道場ではそこの先生に護身術としての合気道を週一回教えに行っております。

空手は一つ一つの技は単純 パンチ、キック そして速く強く。 もちろん格闘技としての破壊力は強力です。

合気道は練習において攻撃方と受けて技をかける方が別れ お互いに協力しあう。掴み合って抵抗することはしない、上級の人が投げられ役で攻撃して 悪い所を教えるために抵抗することはよくありますが、、、。

合気道は攻撃を受けて よく体を回転させるがそれは相手の動きに気を合わせて 攻撃を逸らす、抵抗させない、余分な力を使わないということを習得するためです。 重心を崩さず 軽くよどみなく動くのがいいですから体重差が大きい人とでも練習できます。僕は合気ダンスともいうのですが、、、、、。 相手の手、腕を攻める技が中心になりますので 自分の手、腕の使い方と体裁き(ステップ)が
大事になります。 奥様方にも力を入れずに軽く動けば良いと言ってますが、なかなか自然体で出来ない(笑)

僕にとっての頭の体操のようなものです。
勉強以外であればいろいろやりたい事はあるのですが バイオリン製作を犠牲にするわけにいかないので抑えています(笑)

本日は、お忙しい中有難うございました。

インタビュー後記

松田さんのバイオリン製作にかける情熱が伝わります。 “ 職人” この言葉がぴったりな方。どんな時でも名器をイメージして自分を向上させていく。数々の賞を受賞し、賞の審査員までされている松田さんが、一生をかけて良い作品を創りたいとおっしゃり、研究を欠かさない。素晴らしいアーティストです。

今回工房も拝見させて頂き、バイオリンの製作工程なども教えて頂きました。
材質を 30 年も寝かせる事や木の外側がバイオリンの中心になる事。Rの形など1つ1つ全部違う事、同じものは2度と作れないなど全てが興味深いお話でした。

関連リンク

松田鉄雄さんホームページ:  http://matsudaviolin.com/indexjp.htm

取材・文/小坂 孝樹
 

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