おでかけ.US
暮らしの情報館
生活
働く
駐在員情報
電話帳
おでかけ情報
アミューズメント
鑑賞
スポーツ
観光・見所
トラベル
レストラン
ショッピング
便利情報
ガイド
オンラインストア




アメリカで輝いている人 VOL.72

畑佐 一味 さん
Purdue University 教授 / ミドルベリー日本語学校 校長

 
アメリカで活躍されている方々にインタビューをし、その人の活躍の場、内容、素顔を通じ
よりアメリカを知っていこうと企画された “Brilliant People” 輝いている人!

第72回目に登場いただくのは
ミドルベリー日本語学校 校長  畑佐 一味
さんです。

畑佐さんは、Purdue University 教授の他、ミドルベリー日本語学校 校長として 柳家さん喬師匠と日本語教育に落語を取り入れるなど新しい試みで日本、日本語教育に携わっていらっしゃいます。「日本語教師のためのITリテラシー入門」など著書も多数

−経歴−

1955年 東京都生まれ
1980年 早稲田大学 商学部卒業
1981年 オレゴン大学 短期留学
1983年 ミドルベリー大学にて初めて日本語を教える
1985年 University of Illinois at Urbana-Champaign にてMA 取得
1989年 University of Illinois at Urbana-Champaign にてPh.D 取得
2001年 Purdue University 教授
2004年 ミドルベリー大学 日本語学校 校長

現在 Purdue University 教授、ミドルベリー大学 日本語学校 校長


アメリカに来るきっかけは

付属高校からエレベーターで上がって、早稲田大学時代はバスケットボールばかりやっていました。当然バスケットで就職すると思っていたのですが、 1979 年大学を卒業するか、しないかの頃 オレゴンへ 9 ヶ月間の語学留学のプルグラムに申し込んだのがアメリカに来るきっかけですね。

戻って早稲田の5年生 商学部だったのですが、就職活動も出来ず  80 年にオレゴンに戻って MBA でも取ろうかなぁ? くらいの軽い気持ちでアメリカに渡りそれから 30 年ずっとこちらの生活です(笑) 

学生の年齢よりも滞在年数の方が長くなった。当初はこんなに長く滞在するとは思ってもみなかったですね。大先輩が以前「私はあなた達が生まれる前からアメリカに住んでいる」と言っていましたが、自分もそうなったかと思うと変な気がします。

1 年のうち 1 ヶ月半くらいは日本にいます。価値観のズレは仕方がないと思いますが、 職業がらアンテナは常に張り、バランスを保つようにしています。

日本語を教えようと思ったのもその頃ですか

飛行機の中でもっと言葉の勉強をしようと思い1年間大学院で言語学を勉強しました。その時は Under Graduate のコースを取っていただけの漠然としたものでした。

1年経って MA の ESL のプログラムを探してひっかかったのがイリノイ大学 ここで初めて正式な Teaching English as a Second Language (英語の教え方) を学びました。

イリノイ大学のプログラムの中に Computer-based Foreign Language Teachingというコースがありました。その授業を受けたときにガーンと刺激を受けたんです。 PC がまだなかった時代ですからコンピュータシステムを使い英語を教える。メインフレームの機械がキャンパス内にいっぱいあって物理やフランス語などのレッスンが出来た。コンピュータに興味を持ったのもこの時ですね。

外国人学生として教える場がないから、頭でっかちになっている状態ですね。教え方を学んでも教える場がないわけですから。

そんな時イリノイ大学に牧野成一という先生がいらっしゃって日本語教育というのが視野に入ってきた。牧野先生に紹介されて、83 年の夏にミドルベリー大学日本語学校で教員の一人として日本語を教えました。 TA を取る前でしたから日本語を教えた事がない状態で9週間学生と一緒に寮生活をしながら色々と模索しながらやった時代です。

素人が教えるのだから迷惑もかけたかもしれませんね。実際生徒から最後の方はうまくなったと言われたくらいですから(笑)

ミドルベリー大学とはどんな学校なのですか

ミドルベリー大学はバーモント州にあり、 200 年の歴史を持った、リベラル・アーツの College ですが、夏の間に行われる The Language Schools で有名です。現在、Language Schools では10の外国語を教えていて、約100年前に始まりました。日本語学校は今年40 周年記念の年です。

集まる生徒も習う言語によって様々です。例えばアラビア語には軍や政府関係の人が多いようです。職業の欄には Government としか書かれていないと、 CIA や FBI の人かもしれません。それに対して日本語は文化への興味主導型なので、スポーツの対抗戦などではあまり勝てません。(笑)

ここで日本語教育の面白さを発見しました。外国語として日本語を見る。国語というのは実際自分達が使っている言語で勉強をするものですから、国語の先生が教えるのと外国語として日本語を教えるというのは違います。初級クラスでは 2 〜 3 日でひらがなを覚えてしまいます。 9 週間経つとかなり意味のある言葉を話すようになります。白いキャンパスに絵を描くようなものなので、教師の責任は重大です。

ミドルベリーは自分を育ててくれた場所ですね。 25 年後にまた戻って来て校長職をするというのは何かの縁。恩返しとまでは言えないが、何かしないといけないと思っています。

日本語学習は以前と比べて何か変化はありますか

88 年に博士号が終わり  PURDUE へ。 その頃アメリカの日本語教育小さかったのですが 、ちょうど同じ時期に インディアナにはスバルといすゞ がアメリカ進出をし、日本語を教える高校が増え 始めました 。バブル期に日本語教育が変化したように思いますね。

以前は歴史や文化に惚れ込んで日本語を勉強する、学者になりたい人のためであった日本語が、 90 年代は日本語を勉強すると給料が上がるという理由で勉強する。だから優しく教えないとすぐやめる(笑) とにかく日本語を習いたいという人が増えた。底辺が拡大したんですね。経済に刺激され、今の中国熱のような感じで日本語が 注目されていました 。

JET プログラムの逆で JALEX というものがあって日本人の学生が来て、州の教員資格を取った人が先生となりそのアシスタントとして教える。

90 年代は学生が増えていた時代ですから、色々な大学に日本語のプログラムができていきました。でも、 バブル崩壊の後は少し冷え込んできました 。

私は言葉は何のために教えているのかという視野を持っています。教科書も変わったし、教え方も変わった。以前は Grammar Translation 旧態依然とした教え方が主流だったのですが、我々はそれが変わった第一世代でしょうね。
先輩たちからすると小生意気な小僧だったと思いますよ(笑)

外国人が日本語を勉強するというのは難しい事なのですか

米人にとって日本語は難しい。主語、動詞、目的語の順番など言語体系が違う。兄弟言語を勉強するのとは違う。難易度からすればスペイン語、フランス語が一番簡単です。

次が、ドイツ語など、そして、ロシア語と続きます。日本語、中国語、韓国語は最も難しい言語のグループに入っています。一般的に、日本語で同じレベルに到達する為には、スペイン語の 3倍の時間が必要だと考えられています。

語彙の点で言ってもアメリカ人にとって 英語とスペイン語の間には共通の言葉が多くあります。日本語の場合はこれは基本的にゼロです。読み書きを加えるとひらがな、カタカナなども入りより難しくなります。

語彙の点で言ってもアメリカ人にとって 100 語のうちスペイン語であれば 20 くらいは知っているが、日本語は0 読み書きを加えるとひらがな、カタカナなども入りより難しくなります。

外国語が上手になるにはなにがポイントとなりますか

教科として教えなくてはならないので勉強の出来る子の方が有利かもしれませんが、それだけではない。 性格的な事もありますし、 耳がいい子は強いです 。言葉が上手になるには間違ってもよいから話す人のほうが 有利だと思います 。

それに初めての語学を勉強するわけですから 100 時間より 1,000 時間勉強する方が当然上になる。読む、聞く、話す、書くといった4つの機能のうち 聞くという事で考えると沢山聞いていれば雑音が雑音でなくなってきます 。語彙がないから意味がわからない。それは何という意味ですか? と聞いてくる。これが大きな第一歩です。

例をあげれば我々がタイ語を聞いていてもどこで切れているか分からないのと同じです。でも、勉強をして、何回も聞いていると切れ目が分かってくるということです

話す力はちゃんと話さないと恥ずかしいという気持ちは分かりますが、黙っているより話している人の勝ちです。

日本の英語教育は如何でしょう

日本の先生が英語をしゃべれないから日本語で英語を教える。これではしゃべれるようにはならない。最近は小学校でもやりはじめているようですが、どうでしょうねぇ

私は言葉は短期集中学習の方が良いと思います。ダラダラ型より短期集中の方が効率が良いです。 3 ヶ月間、他のことは何もしなくて良いから英語だけ勉強している方がしゃべれるようになると思います。

現在の学校のシステムの中では現実的ではないでしょうが効率的かつ効果的だと思います。 聞く量(インプット)を増やすことが大切です。だからミドルベリーでの 9 週間の缶詰教育は効くのだと思います。

その中で、Language Pledgeという 「日本語しか話しません」 という誓約書に学生全員がサインをして、学生間でも日本語しか話さない環境を作り、維持します。これはミドルベリーのトレードマークなので、学生も承知の上で来ているわけですが、それでも9週間維持するのは大変なことです。

ミドルベリー日本語学校の目的は基本的に言葉の勉強だから、言葉以外の学習成果は副産物だと考えています 。経験としては日本に行った方が良いですが、言葉の技術だけはここで学んだ方が日本へ行くより効果的です。学生からの質問もどんなに時間がかかっても日本語で聞く。日本語で答える。学生同士も日本語で話をしないといけない環境で言葉だけを集中して覚える。開校式は英語でスピーチ 閉校式は日本語でスピーチで行っています 。

落語を使って日本語を教えていらっしゃると聞いていますが

私自身が下町で育った事もあり、落語には子供の頃から興味がありました。 2005 年にさん喬師匠の知人が来てくれて落語で日本語を教える話をしました。伝統文化を紹介するのに、そのプロが来てくれるのだったら面白いかも。バーモントの緑の中をキモノを着た人が歩いているのを見て“ That's cool ! ” と思ってくれれば良いとそんな軽い気持ちでした(笑)

実際、開催してみると、 80名ほどの学生の大半は落語を知らないし、20名余りの教員の中でも半分ほどは落語を生で観たことがないという状態でした。そこで、さん喬師匠に急遽お願いして、先生のための落語会を開き先生への教育から始めたのです。お願いした演目は 「芝浜」 でした。季節外れの噺なのですが、師匠は快諾して下さり、20名を相手にしたプライベート独演会という大変贅沢な企画が実現しました。 2006 年は和芸の素晴らしさを発見した年でした。落語を初めて観て涙する人もいました 。

落語を選ばれた理由は

麻生さんはソフト文化を提唱されていますが、それだけだと広がりがないし、深みもありません。パルバース氏が使った MASK という言葉があります。漫画、アニメ、寿司、カラオケの頭文字を取ったものですが、現在の半分くらいの日本語学習者はMASKの影響を受けているように思われます。そして、私はそれから先にあるものを違うもので見せたいと考えていました。 それが落語だったのです。

さん喬師匠に話をしてみるとすぐに OK となり、落語だけでは面白くないだろう、色物もあった方が良いと言うことで 紙切りの二楽師匠も参加してくださることになり、伝統文化を紹介する事になったのです。

初めての年は高座が作れるか? 赤い毛氈はどうするか? 座布団はどうするか? など最も基本的なレベルでの試行錯誤でした(笑) (さん喬師匠が座布団の外側だけ持って来てくださり、中に枕を詰めて、師匠が座布団に仕立ててくださいました。)

実際落語を通しての日本語学習は如何ですか

2007 年には観るだけではなく学生にも落語をやらせてみました。 伝統文化には文楽・能・歌舞伎などの鑑賞型と生け花、お茶のような体験型があります。落語は従来鑑賞型と思っていましたが、小噺をやらせると体験型になります。

「裏の庭に囲いが出来たってねぇ」「へぇ(塀とかけている)」といった 2 行くらいの簡単なものをやり、笑ったら次の学生に行く。 7 〜 8 人の学生が人前で初めて小噺をやる 。 MASK からの脱却ですね。参加出来る楽しさ、練習する過程の中で 小噺 は良い教材となります。

落語クラブを作って学生に小噺を覚えさせるのは言葉の勉強に近いんです。発音の練習にもなります。師匠に見せ、稽古をつけてもらいました。学生への期待は高くなかったが、やってみると面白かったというのが学生の反応でした。

2〜3 回練習すると学生の目の色が変わり 、やるからにはウケたいと思うように なります。 パフォーマンス向上のために質問するようになり、師匠方は丁寧にそれに 応えてくださいました 。さん喬師匠も左龍師匠も本当に良く指導してくれます。ここまでサービスして くださるとは思っていませんでした。

学生も落語を楽しみながら日本語を覚えていくのですね

学生は始めに小噺を読んで選ぶ時、字面で面白いか面白くないか判断しますが、後で内容ではなく話すプロセスが大切だということをわかってくれます。 落語はオチが分かっていても面白い。笑ったり、泣いたりする。同じ話も解釈、演じわけ で 違ってくる。 そういった落語の楽しみ方も学んでもらいたいです。

古典落語は行きつけのレストランの料理が食べたくなるようなイメージで、楽しむものなんです 。だから同じ話を複数の人がやっても問題ないんですよ。 同じ小噺なのに、師匠がやると笑えるんです。 字面だけではなく、その奥深さが分かると本来の落語の楽しみ方が分かってきます。

でも、これは最初から計画してやったものではなく、たまたまやってみたら学生の方が乗ってきた。 その時の発見なので、 胸を張って自慢出来るものじゃないんですけどね (笑)

学習者が小噺をする時のメリットは

そうですね。日本人でも出来ないことを外国人がするというのがあります。つまり、日本人だって練習しなければ出来ない小噺を外国人学生がやって、日本人を笑わせる。そして、「えっ、どうしてそんなことができるの」と驚かせるというのは彼らにとっては痛快な経験です。

そして、ホストファミリーの前で小噺を披露したら、とても喜んでいましたといった報告を受けた時に私は満足感をおぼえます。 母語話者に勝てない外国人に小噺をさせるというのは、パワーの逆転を生み出すので、その意味でも面白いです。我々も英語でもっとジョークを言えるようになったほうがいいということですね。

今後はどのような展開をお考えですか

学生に落語は出来ないかを師匠と相談しているんです。  2 分が限度だと思うので、 2 分バージョンの落語を作る。上級生はこの 2 分落語にチャレンジして小噺から脱却する。異文化間のジョークやユーモアの違いなどがあって面白いと思います。学生オリジナル小噺などセンスの交流も出来ればもっと面白くなる。 

それを WEB で日本語学習者による小噺プロジェクト として 紹介する事で、プロが来なくてもどこの大学でも誰でも 似たような活動が 出来るようになる。ヨーロッパの日本語教師会 にも紹介したいと思っています 。最終的には全世界の日本語学習者による小噺コンテストをやってみたいですね。その時の審査委員長は勿論さん喬師匠にやって頂きます (笑)

秋からは御茶ノ水大学に半年行く予定です。アジア系の学生に小噺など同じ活動をしたら、どのような反応が返ってくるのか興味がありますね。

成功の秘訣を教えてください

そんなに苦労したわけではないからなぁ.. 私の目からは運としか思えない、 たまたま そこにあっただけの事が多い気がします(笑)

校長職は企画屋ですから、仕掛けて面白いだろうと思うことをやってみる。 私は性格的に 面白いことに引っ 張られ、 好奇心が強いので色々とやりたくなる。大変なのはそれを サポートしなければならない 先生達ですね(笑)  サポートをしてくれる人達がいないと企画屋は何も出来ません。周りの人に助けられています。 人との出会いはとっても重要です。

本日は、お忙しい中有難うございました。

インタビュー後記

今回はインディアナにある畑佐さんのご自宅にお邪魔してインタビューさせて頂きました。

畑佐さんは人との出会いをとても大切にする人。さん喬師匠との出会いもそうだ。このご縁がきっかけとなり落語を通して日本語を教える。日本語教育のプロと落語のプロが一緒になって日本を紹介していく。とても素晴らしい方々と出会いました。

そして偶然にも畑佐さんは私の学生時代(バスケットボール部)の先輩のお兄様。会って話しているうちに気がつきました。世の中の狭さを感じます。

今回もまたアメリカで活躍する素晴らしい人と出会う事が出来ました。
お忙しいところ貴重なお時間を頂戴し有難うございました。

関連リンク

Purdue University   http://www.cla.purdue.edu/fll/personal/hatasa.html
Middlebury College   http://www.middlebury.edu/academics/ls

取材・文/小坂 孝樹
写真/佐藤ノルバート
 

BACK NUMBER

会社概要 | 採用 | リンク | 広告掲載 | 著作権 | ヘルプ | お問合せ

本サイトの無断転載を禁じます。
© ODEKAKE.US. All rights reserved.