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アメリカで輝いている人 VOL.67

神田 めぐみ さん ( Mrs. Megumi Kanda )
ミルウォーキー交響楽団 首席トロンボーン奏者
 
アメリカで活躍されている方々にインタビューをし、その人の活躍の場、内容、素顔を通じ
よりアメリカを知っていこうと企画された “Brilliant People” 輝いている人!

第67回目に登場いただくのは
ミルウォーキー交響楽団首席奏者 神田 めぐみ
さんです。

神田さんはミルウォーキー交響楽団首席奏者として活躍。
全米史上トップの女流トロンボーン奏者として注目されています。

−経歴−

1975 年 名古屋出身
1981 年 6 歳よりピアノを始める
1985 年 10 歳の時、小学校のブラスバンド部に入部
1988 年 13 歳より、トロンボーンを三輪純生(NHK交響楽団、桐朋学園)に師事
1991 年
 桐朋女子高等学校音楽科に入学
1993 年 第1回日本トロンボーン・コンペティション第1位、日本吹奏楽協会会長賞受賞。
1993 年 アジア・ユース・オーケストラに参加
1994 年 桐朋女子高等学校音楽科を首席で卒業。米国に留学
1993 年 クリーブランド音楽院にてジェームス・デサーノ(クリーブランド管弦楽団首席トロンボーン奏者)に師事
1997 年 クリーブランド音楽院を首席で卒業。米国ニューヨーク州アルバニー交響楽団首席トロンボーン奏者に就任
2000 年 ニューヨーク州ロチェスター・フィルハーモニー管弦楽団に移籍。イーストマン音楽学校講師に就任
2002 年 ミルウォーキー交響楽団首席奏者に就任
2003 年 9 月には同交響楽団のソリストとして、 またジャズトランペッターの Doc Sevransen と
2000 年 ミルウォーキー・ポップスコンサートで共演

現在 ご主人と二人の息子さんとミルウォーキー在住


トロンボーンをやるきっかけは

小学校 4年生の時 親友が吹奏楽部に入るって言ったんです。朝練があるからその子は早く行ってしまい、それまでいつも一緒に歩いて学校に行っていたのに、1人になってしまってつまらない。じゃ私もバンドに入って一緒に歩きたいと思って入りました。

でも遅れて入部したのでトランペットやクラリネットなど人気の楽器は全部取られていて、あるのはちょっと潰れたトロンボーンだけ(笑) 私は次女で女の子らしくないところがあったので、いかにも女の子らしくないこの楽器がひと目で気に入りました。

吹いてみるとテナーのように音が低くて暖かみがある。6歳からはじめたピアノは才能もなければ練習もしないって感じでしたけど、トロンボーンは1日目から大好きになりました(笑)

小学生でトロンボーンを吹くのは難しかったのではないですか

先生は芸大でお琴をやっていた人だし、先輩も誰もやった事がないから教える人がいなかった(笑) 組み立てかたも分からないから逆に組み立ててしまって暫くは左手で動かしていましたよ(笑) 音もピアノで自分でとっていたくらいですから。

そんな時ある事件が起こりました。それはメリーさんのひつじ事件って言うんですけどね(笑) バンドの新入部員がメリーさんのひつじを演奏して、うまく出来たらシールをもらえる。みんなシールをもらえたのに私だけがもらえなかった。

ショックでしたよ こんなにトロンボーンが好きなのに、実は下手だった..

それから一所懸命練習しました。トロンボーン教材を見て「あれっ これ右手で動かすものなんだぁ」なんて発見したりして(笑) どんなに練習しても全然苦じゃなかったし楽しかったですねぇ

ハーフということでイジメに遭ったことはありますか

これは性格によるかもしれませんが、私の場合ないですね。小学校の時に「おまえハーフだろう」って言われて「そうだよ おまえ日本人だろう」って言ったら全くいじめられなかったですね(笑)   姉も弟もいじめにはあっていませんが、少しセルフコンシャスになっていました。

他の人と違うのが楽しいと思うか、他の人とフィットしたいと思うかによっても違いますよね。 弟が学校で母の日のお絵かきをするときに金髪の母の髪の毛を黒髪に塗ってましたねぇ(笑) それに私はグレている暇もないくらい練習ばかりしていましたから(笑)

練習は 1 日どれくらいやるのですか?

小学生の時は 1 日 2 時間、中学生は 4 時間、高校の時は 8 時間やっていました。でも練習のやり過ぎで大変なことになっちゃったんです。

トロンボーンは口だけの筋肉を使いますから、 1 日 4 時間くらいしか練習しちゃいけないんですが、私はもっと上手になりたい一心で 8 時間もやっていましたから唇の筋肉が痛くて口にあてられなくなり全く吹けなくなってしまったんです。

クリーブランド音楽院に進んだ頃には医者から再起不能と宣告されてしまいました。

医者から再起不能と言われた時はどんな気持ちでしたか

まさか! いままでとても大切にしていたものをとられたようでお先真っ暗でした。ほかの職業 (医者とか)になってみるかとも考えたのですが、どうもしっくりこなくて、生まれて初めて自分のいくべき方向がわからなくなった。自分がどれほどトロンボーンが好きだったか、よくわかりました。別にもうプロになれなくてもいいから、もう一度下手でもいいからいつか吹けるようになりたいと思いました。

吹けない期間はずっと絵を描いていました。何かを伝える媒体が必要だったんです。言葉で伝えられれば良いけど私は下手だからトンボーンで伝える。生きる希望、楽しみ、勇気づけ方とか人によって違うと思うんです。私にとってトロンボーンはなくてはならないものだったんですね。

どうやって克服したのですか?

私の恩師であるデサーノ氏も過去に同じように口を痛めた事があり「口の筋肉が使えないのだったら、その周りの筋肉を鍛えて使えない筋肉を補うような演奏方法で1からやりなおしてみよう」と言ってくれました。

彼は奏法を教えてくれるだけではなく、なぜこの楽器を奏でるのかという意味を考えさせてもくれました。私は自分の力だけでやってきた、自分が頑張ったから吹けた、のではなく吹ける事は神様からの贈り物なんだって感じました。

そう思うと とても気持ちが楽になり重荷がおりました。奏法を変えるトレーニングを始めてしばらくした頃 しまっておいた楽器を取り出し音階を吹いてみました。「ぶおーん」と音が出た時は嬉しかったですねぇ 小学生の頃より下手になっていましたが、ただ吹けた、音が出ただけで嬉しかったですねぇ(笑)

最初は全然駄目だったのに第 1回日本トロンボーン・コンペティションで第1位になられてますよね

そうなんですよ。自分がダメダメだと思って練習しているうちにコンクールを受けたら 1位になってしまって、もしかしたら自分は上手いのかもなんて思ってしまったり(笑)

そうなると今度は上手くやらないといけないというプレッシャーもあり、音楽界の次のスターだとか言われだしちゃうし.. 
演奏する 3分前くらいには必ず熱は出るし、ゲーってやってましたよ(笑)

同じ時期にアメリカにいたら状況は変わっていたと思いますか

全然違っていたでしょうね。誰もプレッシャーなんかかけないし、私が何をしようが誰も気にしませんしね(笑)

だからアメリカに行こうと思ったのですか

そうですね。もっと自由に、もっとレベルの高いところでやってみたいと思って、大学はクリーブランド音楽院に入りました。

ここでも面白いエピソードがあって、音楽といったらジュリアードって考えますよね。私もちょっと考えてジュリアードのトランペットの先生と知り合いになって相談したんです。そうしたら「あなたはのんびりしているからジュリアードには向かないんじゃない」と言われてしまって... でも「僕がなんとかしてあげる」と言ってくれて高校 3年生の時にFAXが来て「サントリーホールへおいで」って事でした。

私はてっきりレッスンをしてくれるのかと思って出かけていったら、いっぱい人がいて、そこで吹くことになったんです。なんとそれが試験だったんですね。そこでめでたくパスしてクリーブランドに行くことになったんですが、クリーブランドなんて聞いたこともないし、最初はグリーンランドと間違えていて凄く寒いところに行くんだなぁ なんて思っていました(笑)

そういう方々とはどうやってお知り合いになるのですか

私の場合 殴りこみですね(笑) 地元でオーケストラの演奏がある時は泊まっているホテルに電話をして「OOオーケストラのOOさんお願いします」って呼び出してもらうんです。暇にしてるんだったら私のトロンボーン聴いてよって感じですね(笑)

自分でなんとかしなくてはいけなかったですから必死でしたね。そこまで気合の入っている人もいないかもしれませんね(笑)

ご両親も音楽家になることには賛成されていたんですか

反対でした、特に父が。レッスン料を出して欲しいと頼んだら、レッスン料を払っても元が取れないから駄目と言われてしまい、仕方なく音大に忍び込んで先生を探したりしました(笑)

流石にそこまで本気なのだったらと、中2の時に父が 三輪純生 先生を探して来てくれたんです。その後 芸大か桐朋に入ったらお金を出してやると言われ、父は絶対に受からないと思っていたらしいのですが、見事合格(笑)

でも家はかなり貧乏だったらしくお金がなくて親戚中からお金を集めて入学金にしました。あとは奨学金です。

そんな父も今では 1番の私の熱狂的なファンです。いまだにCDを1日10枚づつ売り歩いてくれているんです。CDが出たのはもう5年も前なのに(笑)

かなりご苦労されたんですね

お金がありませんでしたから楽器もコンクールで1番になったら買ってあげると言われて 1番になった。この時もまさか1番になるとは思っていなかったみたいで、お金を集めに(笑)

レッスンも月に 1回しか習えなかったんですけど、その方が集中出来て良かったですね。レッスン料も1万円だったんですが、「一生の中で一番大切な生徒になるからまけてくれ」と頼んで7千円にしてもらいましたし、楽器も銀座のヤマハに行って「絶対に後悔させないから」と説得して100万円を70万円に(笑)

大学の時もお金がなくて仕送りをお願いしたら家中のお金を全部集めてくれて送ってくれました。 900ドル(笑) これで1年間過ごせというのかと唖然としました。これはなんとかしないと本当にまずいと思って、4年分の勉強を3年でやって卒業しました(笑)

ご主人とはどこで知り合ったのですか?

音楽をやっているから結婚は無理だと思っていました。それに私は自分の理想の旦那さまの条件を書き出したリストがあったんです。その項目は 30 もあって絶対これをクリアする人はいないとも思っていたんですが、世の中にはいるんですねぇ(笑)

彼とはニューヨークのロチェスターフィルハーモニーで知り合いました。ここに在籍していた 1 年のうちに結婚相手をみつけちゃったんです(笑) 私はすぐにミルウォーキー交響楽団に行くことになったんですが、彼が「家事もするから結婚しよう」と言ってくれて婿に来てくれたんです。これも私の理想の旦那さまリスト 30 の中の1つです(笑)

それではご主人はロチェスター・フィルを辞めて神田さんと結婚するためにミルウォーキーまで来たのですか?

そうです(笑) 今は彼も 250 人の応募者の中から勝ち上がってホルン奏者として同じミルウォーキー交響楽団にいます。子供も第二子が誕生し、今とってもハッピーです。

お子様が産まれてから何か変わりましたか?

変わりましたねぇ 子供がいない時はちょっと頑張り過ぎちゃったかなぁ と思うときがありましたが、子供が出来てからは良い意味で息き抜きが出来るというか、演奏するのが前よりも楽しくなりました。

育児も家事も主人と半々にやるようになりましたから練習の時間がなくなったのはショックでしたけど(笑) でもその分 土壇場の集中力がついたというか、練習も量より質になったんですね。

その理想の旦那さまを選ぶ 30 のリストっていうのはどんな項目なんでしょう

ははは もう忘れちゃいましたが、確か大人しいけど頼れる 剛毅木訥っていうんですかねぇ そんなタイプの人 そして適当に私を遊ばせてくれる人(笑)

現在はミルウォーキー交響楽団の首席トロンボーン奏者ですが、なにかご苦労はありますか

首席なのでトロンボーンとチューバの責任があるのですが、トロンボーンの奏者の 2番、3番はそれぞれ60代、70代と私よりかなりおじさんで、しかも2人共身長6フィート7 だから2メートルくらいの巨人(笑) その中の1人はトロンボーン製作の第一人者ですからねぇ

そんな人達ですから纏めるというよりは一緒にやっていこうという感じでしょうかね。リーダーは威張っている人もいますが、人のお手伝いをするのもいいかなぁって思っています。年下だし、あまり偉そうでない首席なんです(笑)

トロンボーンの魅力、難しさはなんですか

人の声(テナー)に似ているところが私は好きです。深みがあって良い音がする。色々なスタイル、声、音量、違った性格があって オーケストラの全員でかかってこられても太刀打ち出来ると思いますよ(笑)

むずかしいところはすぐに疲れちゃうところでしょうか(笑) 口だけで演奏しますから早い動きは難しいですね。

成功の秘訣を教えてください

オーケストラに入るのはソリストになれないからといったイメージがありますが、アメリカの場合オーケストラは人気が高く、入りたいという人達ばかりですから、倍率も 100倍から200倍 オーディションも年2〜3回しかないから何度も受けないと入れない。その間生活が厳しくて諦めてしまう人が多い。誰かが辞めない限りポジションが空かないわけですから入るのは大変なんです。

成功するためには才能が必要ですが、それだけでは駄目。努力することも大切だし、それをやっていることが好きじゃないと続かない。コンビネーションが大切ですね。

ちょっとの才能があれば諦めないことですね。私もピアノの才能がないと言われましたが、6年生くらいから一生懸命やったら後々ピアノでもいけたんじゃない? なんて友達にいわれましたよ(笑) どうしてもやりたいと思うこと、やってみないと分からないですものね。

オーケストラでの生活というのはどんな感じなのですか

私の場合は週に1回休みがあって、その他の日はレッスンかコンサートをしています。中規模のオーケストラに入れば生活は全く問題ないし、大きなオーケストラなら随分良い生活が出来ます。

でも多くの人は休みの日に生徒を取って教えていますね。私も大学で教えていましたが、子供が出来てからは自宅で教えるようになりました。大学で教えていたときも誰一人として私のことをプロフェッサー神田と呼んだことはありません。みんなメグミって。私先生なのに(笑)

日米の違いはありますか

日本のお客様はとっても熱心ですね。楽器はこれを使っているとか、細かいところまで良く見てくれています。その反面、難しい曲を入れないとテクニックがないと思われてしまうようで、見せ場はここにしようなどプログラムには気を使います。その点アメリカ人は細かいところは全然気にしないで、ここが良かったぁ などと楽しみに聴きに来ている人が多いですね。

演奏の時間も日本は 2時間と決まっているんです。多分お金のもとが取れないという考え方なんでしょうか。アメリカは1時間でも3時間でも良いんですよね。

日本の生徒に教えるのは楽しいですね。とっても熱心ですし、良く言うことを聞く。アメリカでは先生は同じレベルと考えられていますからね。

それと日本人はもっと日本人であることに誇りを持つべきだと思いますよ。ただ西洋化するだけじゃなく、日本の良さを取り入れていく、西洋の真似事じゃなくて外から来たものと併せていくという姿勢が大切だと思います。

将来の夢

私は日本の歌をやるのが好きなんです。 山田耕筰 とか北原白秋とか昔の歌もいいですよね。トロンボーンだから西洋の音楽をやるというだけじゃなくて良いと思うんです。

オペラにも歌舞伎の要素が取り入れられていますよね。シュトラウスの影のない女なんて感動しちゃいましたよ。

私にも作曲の才能があれば自分で曲を作りたいと思っていますが、自分じゃ出来ないですから、日本のものを取り入れたトロンボーンの曲を誰か書いてくれたら絶対吹きますよ!

プライベートの時間はどのように過ごされていますか

最近は子供と遊んでいますね(笑) 散歩をしたり、公園で遊んだり。ミルウォーキーにはインドアの公園や植物園があるんですよ。冬でも男の子は走らせないと駄目ですよねぇ。 じゃないと家の中がめちゃくちゃになっちゃう(笑)

ミルウォーキーのお薦めスポットをご紹介ください

レイクパークビストロのランチはちょっと高いけど良いですよ。窓際の席に座ってレイクを眺めながらの食事はとっても好きです。なにか記念のことをするときは必ず行っています。レイクパークはNYのセントラルパークと同じデザイナーが作ってるんですよね。

それと寒い時はミッチェル公園の中にある3つの巨大なドーム(植物園)のトロピカルルームがお薦めです。熱帯雨林の中で本とか持っていって読んだりするとリフレッシュしますね。滝とか椰子の木、池では鯉が泳いでいたりココナッツやカカオとか、なにしろ空気が夏(笑) 子供の放し飼いにはもってこいです(笑)

本日はご多忙の中、貴重なお話を聞かせて頂きまして有難うございました。


インタビュー後記

いままでインタビューさせて頂いた中で最も笑顔が絶えない人 すぐに魅了されファンになってしまいました。
人知れずご苦労された事など微塵も感じさせない笑顔が素敵です。

全米史上トップの女流トロンボーン奏者である神田さんにとって、自分が下手だと思って頑張って練習したという「メリーさんのひつじ事件」が重要なターニングポイントだったのかもしれません。

とっても美人で才能があり天が二物を与えたような方ですが、気取らずざっくばらんに色々とお話を聞かせてくれる。
とっても魅力的な女性にお会い出来ました。


初めて会った気がしないほどすぐに人の心の中に入ってくる。そこが神田さんの魅力の根源のような気がします。

今後もファンだけではなく世界中の人々を魅了する素晴らしい演奏をし続けてください。

本日はご多忙中お時間を頂き有難うございました。

関連リンク

神田めぐみ 公式サイト   http://megumikanda.com/
ミルウォーキー交響楽団  http://www.mso.org/

取材・文/小坂 孝樹
 

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