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この度は PAS ( Pacific Advisory Service )社の社長就任おめでとうございます。
有難うございます。人材派遣という今までとは全く違ったフィールドですが、僕は人と会うのが好き、人と人を引き合わせるのも大好きですから、自分に向いている仕事と出会えたような気がしますね(笑)
確かに鶴賀さんの経歴を拝見すると主に旅行業、サービス業が多かったような気がしますね

そうですね。私は父親の仕事の関係で樺太で生まれていますから、子供の頃から海外への憧れがありました。大学を卒業してニューオリエントエキスプレスという日本で最初の海外旅行を開催した会社に入社しました。当時はまだ日本人の海外渡航が自由化されていない時代でしたが迷いはなかったですね。
その後 ジャルパックに転職し、グアム、アラスカ、ニューヨークなどの支店立ち上げをやり、各支店の初代支店長をやりました。まだ新しい会社でしたからやりがいはありましたね。
随分色々な会社に転職されていますが、何か特別な理由があったのですか?
それぞれに理由はあるのですが、私は誘われると断れない(笑) 好奇心も強く色々な事に興味を持っていますし、僕を見込んで誘いに来てくれた人に何とか酬いたいという気持ちが強いんですね。
例えばジャルパック時代に各国の支店長をやった後 帰国し本社の販売促進課長を拝命されました。その時にアルトマンシステムという会社の担当窓口となり、ドイツ人社長と知り合いになったんです。
アルトマンシステムというのは日本で初めてのコンピュータを使ったマッチングシステムの会社です。
結婚すれば 100 人中 100 人が旅行をする。 100 組で 200 名ですから旅行にかかわるビジネスには良いだろうと思い彼は JAL にアプローチしたんです。
しかし JAL は当時国の会社でしたから投資は出来ない。でも興味はある。と言う事でジャルパックにやらせようという事になったのがきっかけで、担当になった私と出会ったわけです。この件は経歴には書かなかったのですが、彼に猛烈に口説かれ、そのまま転職してしまった(笑)
こんなエピソードもあります。実はジャルパックに移る前に新宿でレストラン経営もやっていたんです。その時に同じビルに入っていた馴染みの寿司屋の板前が田舎へ帰るという話しを聞いて、彼のために寿司屋をオープンしてあげました。西洋料理と寿司の2つのレストラン経営をやったんです。
その時に調理師のライセンスも取りました。何でもチャレンジ精神でやってしまうんですよ(笑)
その時のご経験から今のシカゴグルメ会を主催されているのですね
そうですね。人と会うこと、食べる事が大好きですから(笑)
今もシカゴで食べる事が好きな人達を集めてグルメ会を開催しています。
ホテル業界にも精通されていらっしゃいますね
ジャルパックを辞める時は 10 名の創立メンバーでもありましたし、随分引き止められましたが、男の厄年も終わり色々と考えたところ このままいても社長にはなれないと思い辞める決断をしました。
そして当時の国鉄が初めて作ったホテル(メトロポリタン)にマーケティング部長のポストで行ったのです。
ここから私の放浪の旅が始まったんですね(笑)
奥様とはどこで出会われたのですか
メトロポリタンでの経験もあり長崎プリンスホテルを任された事もあります。その時に今のワイフと出会いました。彼女はピアノをやっていましたので、演奏旅行で長崎に来たのです。 1,000 名くらいのバンケットでの演奏でしたが、彼女の接待をする事が縁で結婚しました。
当時はコンピュータがないですから、ラブレターですよ(笑)
遠距離恋愛でしたから、電話代も 25 万くらいかかりましたね。
グアムの名誉市民にもなられていますが、これはどういった経緯だったのですか
これは良く質問されるのですが、冗談で「現地の人と酒を飲んでいただけ」と言っているんですよ(笑) これはなかば嘘でもなく、彼らは楽しく事が優先、信用第一ですから毎日のように朝から酒を飲み、信用を築き、友達になっていきます。
ですから私は毎日バーベキューに誘われましたよ。ヘジテイトしないで現地に入っていったのが良かったのだと思います。
会社の命令で 1 年半グアムに滞在しましたが、 30 組の仲人もやりました。グアムでの挙式は安いだけが理由ではなく、親に反対されるなど結婚式をあげるカップルの中には色々な事情がありますからね。
当時グアムには産業がなかったのですが、 1970 年代には観光立国として動き出しました。私が日本に帰る時には日本のツーリストをグアムに連れてきた、貢献したという事で日本人としては初めての名誉市民の称号を頂きました。その時に県知事からマイクという愛称を頂きました。余談ですが、私の次に名誉市民になったのが、あの有名な横井庄一さんです。
一貫して旅行、ホテルなどのサービス業だったのが何故メーカーである日本香堂に転身されたのですか
日本香堂のオーナーと出会ったのが縁ですね。還暦を迎えていましたし、全く違うフィールド、馴染みのない香料のメーカー、しかも20年ぶりの海外勤務ですから少しは戸惑いましたが、経営としては同じです。
ジャルパックは良い旅を創る という点ではメーカーです。例えば一生に一度の新婚旅行の機内で席が通路を挟んで離れ離れになったらがっかりするでしょう。ホテルだって満足出来る部屋を用意する。人的教育もしっかりやります。他社と比べて多少高いくても、ちゃんとした理由があるのです。
レストランもそうですね。美味しいものを食べさせる。良い思いをして帰ってもらう。
メーカーもバジェットの中で最高のものを創る。フェイクやコピーではない、最高品質のものを作る。これが原点ですね。
今までで大変だと思われた時期もおありですか

ありますよ。突然解雇、会社を閉めるという事もありましたからね。特に家族があったので路頭に迷う怖さは尋常ではありませんね。家族の為に働いている姿を見せることは大切な事です。
私は学生時代ワグネル 男声合唱にいましたから、メンバーはみな超一流の終身雇用を約束された大企業ばかりに就職しました。そういった中では鶴賀は異端児と良く言われましたが、今の歳になったら認めてくれていますね。
不屈の精神、家族を大切にする気持ち、くよくよしない事が良かったのでしょうね。バルーンをあげてしまえば、あとはやるしかないのですから(笑)
成功の秘訣
高校の時 先生がくれた言葉で 「もう駄目だと思う向こうに道がある」 というのがあります。Never Give Up ! という事ですね。常にポジティブ志向 頑張れば向こうがあるという思いでやってきました。
それと人が好きなんですね。コンピュータ時代と言われますが、最後はやっぱり人ですよ。これと思った人には心を開く。自分が門を開けば簡単に友達になれる。これは日本人以外の国の人にも共通しています。
仕事に対しては真摯にやってきましたから、どこかで誰かが見ていてくれたのでしょうね。誤魔化しや嘘はいけない。侍スピリットを持ってやる。そんな事を今回ご縁となった PAS の馬場さんも感じて頂いたのだと思いますよ。
今後はどのような生活をしたいとか将来的な展望はございますか

シカゴ、アメリカ、日本 どこに住むとか 何をするとか決めつけるのは もうやめようと思っています(笑) これからは自然体で生きる。シカゴを愛せばシカゴも愛してくれる(笑)
春を待ち焦がれる気持ちですね。負け惜しみですけど(笑)
私は音楽をやっていた関係もありバッハがとても好きです。 2 度目の奥様を愛していたし、真面目で信仰心が強い。ああいう生き方をしたいとは思いますね。実際はほど遠いですけどね(笑)
最後にお薦めスポットをご紹介頂けますか
そうですね、ニューヨークやサンフランは別格としてシカゴのレストランも素晴らしいですね。そこそこのレストランに行くときは必ず予約をする事をお薦めします。予約をする事でレストラン側もおもてなしの準備が出来るので、行く方も十分に楽しめる。
それとシカゴはフランクロイドライトを中心に大火災で全て焼けてしまった街を復活させています。そういうところを是非世界の人に見て欲しいですね。
文化的にも美術館、博物館、図書館など素晴らしい施設もあり、全米トップのオーケストラもあります。
見所は尽きないですね。
本日はご多忙の中、貴重なお話を聞かせて頂きまして有難うございました。
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