おでかけ.US
暮らしの情報館
生活
働く
駐在員情報
電話帳
おでかけ情報
アミューズメント
鑑賞
スポーツ
観光・見所
トラベル
レストラン
ショッピング
便利情報
ガイド
オンラインストア




アメリカで輝いている人 VOL.45
山田 令子 さん (Mrs. Reiko Yamada) 
ピアニスト/ミシガン州カラマズ−オーケストラ主席ピアニスト
 
 
アメリカで活躍されている方々にインタビューをし、その人の活躍の場、内容、素顔を通じ
よりアメリカを知っていこうと企画された “Brilliant People” 輝いている人!

第45回目に登場いただくのは
ピアニストの  山田 令子 さんです。


山田さんはシカゴシビックオーケストラ 主席鍵盤奏者を経て、現在ミシガン州カラマズ−オーケストラ主席ピアニスト。2008年3月にはカラマズー交響楽団と「ゴジラ」など映画音楽を手がける日本を代表する作曲家 伊福部 昭氏の 
“ピアノとオーケストラのためのリトミカ・オスティナータ” を演奏予定。

−経歴−

1995年  栃木県日光市生まれ
1995年  東京音楽大学卒業 伊福部 昭氏のゼミナールに聴講生として参加
1990年  渡米 スカラーシップを取得しルーズベルト大学ピアノ演奏科 入学 93年卒業
1993年  スカラーシップを取得しディポール大学ピアノ演奏研究科 入学 
1995年  シカゴ シビックオーケストラ 主席ピアニスト(鍵盤奏者)
1995年  カラマズー交響楽団 主席ピアニスト(鍵盤奏者)
2003年  ハイウエイで大事故 
2006年  栃木県交響楽団にて伊福部 昭氏のリトミカ・アスティナータを演奏


アメリカに来るきっかけ

東京音大の教授のアシスタントとして ピアノを教えていた時に教え子達がコンクールに出場出来るまでに成長したのは自分の指導の成果なのか、それとも単にメインの先生の力なのかと考えるようになり、自分のバックボーンを確かめたい、確立したいと思うようになりました。

そんな事を考えていた 頃に丁度シカゴに来る機会があり、友人が歓迎に開いてくれたパーティの席で自分が考えている事を話したところ、教える為のスキルを確立するのだったら Pedagogy  を学ぶべきだというアドバイスをもらったのです。

これがきっかでルーズベルト大学のマスターで勉強する事になりました。

最初は学生として渡米されたんですね

そうです。ラッキーにもスカラーシップが取れ、 1988 〜 89 年頃に渡米を予定していましたが、直前に火事に会い全財産を失いました。その事があってから形あるものはいつかなくなるという事を痛感し、日本での仕事も辞めて 1990 年に渡米しました。

渡米後は帰る場所も仕事もない状況でしたから、やるしかないといった気持ちで勉強に専念しました。学費や生活費も自分で稼がなければいけない、ですから日本人学校で教えていた時もあったんですよ。

ルーズベルトでの学生時代は如何でしたか?

正直な話し Pedagogy  は自分の求めているものと違うと思いました(笑) ショックでしたね。そんな時シビックオーケストラのオーディションがある事を聞き、受ける事になりました。今までオーケストラをやった事もないし、その情報を聞いたのが審査の1ヶ月前でしたから全然上手く出来ない。

審査の前日まで猛練習をしたのですが上手くいかず、もう駄目だなぁ〜と諦めかけていた時に審査員の方から連絡があり、彼女の用事で審査を 4 日程伸ばすことになったんです。この 4 日間が私にとっては救いでしたねぇ。その間にテンポがあがり上手く弾けるようになったんです。

審査員はメアリーサワーと言って有名な先生 (シカゴ交響楽団の首席ピアニスト) だったんです。ですからオーディションに来た人も少なからず彼女に習った事がある人ばかりで、その時合格した人も私以外は全員彼女の生徒でした。私のテクニックが先生のものと通じる所があり 、それを買ってくれたみたいです。

シカゴシビックオーケストラで演奏されていたのですか?

そうです。 初めて受けた時は Principal が2人、 Associate が 3 人合格しましたが、私は Associate2 に入りました。毎年オーディションがあり毎回順位が入れ替わるのですが、 3 年目に Principal (主席鍵盤奏者)の座を取ることが出来ました。

現在はミシガン州 カラマズー交響楽団( Kalamazoo Symphony )の主席ピアニストですよね

はい、実はシビックにいた時にカラマズーのオーディションがある事を知り、力試しで受けてみたんです。 Principal の任期は 3 年と言う事もありいずれはその座を譲らなければなりませんから、きちんと準備をして臨んだのですが、シカゴとミシガンで時差がある事をすっかり忘れてしまい、会場に到着した時は既に受付は始まっていてウォーミングアップをする時間もなく本番になりました。

これがかえって功を奏し邪心もなくフォーカスする事が出来たお陰で、合格する事が出来ました。最初はついたての後で誰が弾いているのか分からない状態で審査され、 5 人残されました。その後審査員の前の舞台で審査されました。

ですから一時はシビックとカラマズーの両方の Principal をやっていました。今から思い返せばシビックに受かっていなかったら今の自分はないと思いますね。

アメリカに来て何か感じた事はありますか?

日本ではピアノのテクニックは 20 歳までに決定されている とよく言われるのですが、私は 20 歳の時にテクニックを全てなおしたんです。厳しい先生で 内田光子さんと同じ 時期に同じ先生にウィーンで学んで帰ってきたばかりの方でした。演奏家になる為ではなく教える事を学ぶ為にアメリカに来ましたが、演奏、弾くことに情熱がある事がわかった。でも私のような経歴であったら日本では決してやっていけなかったと思います。アメリカだったからこそここまで来れたんだと思います。

大きな事故に遭われたと聞きました

2003 年の 11 月末にハイウェイで交通事故に会い、 11 日間 ICU に入っていました。
最初の 1 週間は意識不明だったんです。

今でも鮮明に覚えていますが、 隣のレーンを走っていた車が突然私の前に割り込んできて擦るような形でぶつかってきました。瞬間的に中央分離帯の方だったら他の車を巻き込む事もないと思って、そっちにハンドルを切ったのですが そのままバランスを崩してしてしまい 中央分離帯に激突して止まりました。

不思議と外傷は全くなかったんですが、シートベルトで左の肺が潰れ、 肝臓裂傷で内出血がひどかったようです 。肋骨 と胸骨にひびが入り両膝と左前腕も強く打撲しましたが、外傷がなかった分それ程大きな問題ではないと思われたかもしれません。

これも偶然だったのですが、私の車のドアを開けて声をかけてくれた女性が看護婦だったんです。彼女がずっと手を握ってくれ、私の意識が途切れないようにしてくれていました。 すでに救急車も呼んでくれていました。

不幸中の幸い、運が良かったのですね。

本当にそうですね。遠くからサイレンの音が聞こえ、私はこれから向かうミーティングに遅れてしまう事や 1 週間後のカラマズーのコンサートの事などを考えていました。彼女に主人の電話番号も告げました。結局イマ−ジェンシーでは対応出来ずヘリコプターで大病院に搬送されました。

潰れた肺が癒着しないように左脇から肺に直接空気を入れるためのパイプを刺された事を覚えています。かなり痛かったです。その後は意識不明です(笑) 肝臓の止血のためにアンジョウグラムの手術をした時の事は何も覚えていません。

1 週間も意識不明だったんですね

面白い事に意識を失っている間色々な幻想を見ました。ネガティブな事を考えると暗い 色の映像が浮かび上がり、希望とか愛とかポジティブな事を考えるとそれが一瞬にして光や金色といった華やかな色に変わりました。 お釈迦様の言っている事を悟ったような気がしました。

入ってはいけない神社に自分が入っていこうとする夢なども見ました。意識が戻ってから看護婦にそんなような事を話していたら、相当頭がおかしくなったと思われたようでアメリカの大統領の名前を聞かれたりもしました(笑) 自分がおかしなことを言っていると変に思われるのでまずいんだなぁと思い、その後はその類の話しはしませんでしたけど(笑)

意識が戻り主人や医師、看護婦が何か訊ねる度に応えるのですがうまく解ってもらえない。それもそのはず、口にレギュレーターのようなものをつけられていたんです(笑) これをとる作業も大変で、取った後に声が出なくなったり、物が飲み込めなくなったりする人もいるようです。

ぶつけた相手はどうなったのですか?

普通にしゃべれるようになった時に主人に相手の車はどうなった? と訊ねて初めて相手は逃げてしまった事を知りました。警察にも今から探し出して捜査すると弁護士費用や時間を膨大に使う事を知らされ、このまま処理した方が懸命だと諭されました。アメリカって本当に凄いです。

ピアノが弾けなくなるなどの心配はなかったですか?

はじめはそんな事を心配出来る次元じゃなかったです。少し具合が良くなると椅子に座らされるんです。最初はベッドメーキングするからと言って少しの時間だったんですが、その後は徐々に増え 1 日 7 時間くらい座らされていました。あなたが生活する場所はベッドの上ではなく、椅子に座る生活に戻る事なのよと看護婦に言われたのが印象的です。

11 日後はじめての食事が出された時はびっくりしました。胃がやられている訳ではないと言う理由で ICU から普通病棟に移ったばかりの私に出された食事はギトギトにグリルしたチーズサンドイッチと生野菜の サラダ、アイスキャンディとかでした。 おかゆならともかくこれはとても食べられるものではない(笑)

アメリカは何でも数値で決定されますが、プロテインが足りないという事でこのメニューになったみたいです。

このままでは本当に死んでしまうと思って一刻も早くここから脱出しなければと真剣に考えました(笑) 医師からは 3 歩あるけるようになったら退院しても良いと言われ、必死に頑張りました。普通病棟に入って 3 日で退院したんです(笑)

大変な目に遭われましたね

主人もここ数日仕事を休んで見舞いにきてくれていましたから仕事に行かなくてはならず、退院しても日中は 誰も面倒をみてくれない。丁度日本人学校の成績表を書くシーズンだったので、 60 人分のコメントを 時間がかかりましたが全部タイプしました 。 その頃手書きではうまくかけませんでしたので、病院で書いたものをを 読み返すとミミズが這っているようで読めないんです。(笑) おかげで回復がお医者さんも愕くほど早かったようです。逆境によって人間は育つんですね。(笑)

リハビリもしっかりしていました。生活、筋力、食べ物などに分かれた専門家のトレーナーが 3 人付くんですが、私はベッドの中で指を動かしたりしていたお陰で筋力のトレーナーから反応が早い、驚く程の回復力だと言われました。

夫がボストンの久司先生を知っていた事でマクロビオティックもやっていましたので体のファンデーションが出来ていたのかもしれません。でもこの事故で色々な事を考える良いきっかけになったと思います。

波乱万丈な人生ですね

はい、椎間板ヘルニアで数年間ピアノがまともに弾けなかったり、急逝盲腸で死にかけた事もあります。その時も自分で運転して入院したんですよね(笑) 

私の人生って死に直面するような事に遭ったり、色々な事が沢山起こるんです。でも何かが起こった後に次のステップに行ける、そう実感しています。

ピアノをやり始めたきっかけを教えてください

姉がピアノをやっていたんです。 音楽を表現すると言う点では父が民謡の歌手だった事も影響しています。家族が集まると三味線や尺八を演奏したり唄ったりしているのを見て育ちました。

伊福部先生の曲が素直に身体に入ってくるのも 、こんな事がベースになっているのかも知れません。普通クラシック音楽をやっていると日本の民族的な音楽からはかけ離れてる場合が多いですから 私は良い( ?! )環境だったのだと思います。

練習はどれくらいするんですか?

理想的には 1 日 7 時間、最低でも 5 時間出来ると良いんでしょうけど、 フルタイムの 主婦という言い訳をさせてもらって 2 〜 3 時間くらいしか 出来ない時が多いです 。 (笑)

伊福部 昭先生との出会いは

私は東京音大のピアノ科だったので、ゼミには入れなかったのですが聴講生として参加させて頂きました。
自分では師と仰いでおりましたがお話しが出来たのは最後の一瞬だったような気がします。

どんな先生でしたか

伊福部先生は「ゴジラ」などの映画音楽で有名な方ですが、大変博識な方です。 10 数巻もあるドイツの事典を原語で読破されたり、ご自身でも何冊も著書されています。 東京芸大でも教え東京音楽大学の学長であった事もあり、日本の音楽界にとって重要な役割をされた 素晴らしい人格の作曲家です。

戦後はヨーロッパの音楽を全員が受け入れた時期ですから、日本のトラディッショナルな感性を大切にして続けられた 先生は相当世間からは 冷遇 されていました。そんな環境の中で先生は 20 年以上 もご自分の信念を 守りつづけた人です

伊福部先生の曲を最初から弾こうと思っていたのですか

伊福部先生の“リトミカ オスティナータ”は出合った瞬間から弾きたいと思いましたが大変難しい曲なので 自分には縁のないものだと思っていました。でも事故の後自分の気持ちに正直になって、大事なものを忘れかけていると感じました。

ある時先生から他の方が演奏されているCDを渡されました。それを聴いて、いてもたってもいられなくなりました。自分の考えていた先生のコンセプトと違っていたのです。 またアメリカ生活が長くなった事で日本人として何か大切なものを失いかけているような危機感も覚え それで急に伊福部先生の曲を今私がやらなくてはいけないと言った勝手な使命感のようなものが芽生えたんです。

実際やり始めたら体が上手くいかない。テクニックもついていかない。曲の為にピアノを購入したり、体を鍛える為に有名なトレーナーを訪ねて鳥取まで行ったりもしました。このトレーナーの先生は小山裕史さんと言ってイチロー選手のトレーナーでもある方です。

全ては伊福部先生のもとに繋がった

先生の曲を弾こうと決めたら栃木県交響楽団からお誘いの話しがありました。丁度鳥取に行っていたときに電話があったんです。私は栃木県日光の出身なのですが、地元出身の人で演奏会を開こうという事になり、お誘い頂きました。

この時( 2006 年 6 月 18 日)伊福部先生の追悼という事でリトミカ・オスティナータを演奏しました。余談ですが、鳥取に有名な宇部神社がありますが、伊福部先生の家系が代々神主をされた所です。本当に不思議な縁を感じます。

この時の演奏会の CD をカラマズーシンフォニーに送った事で来年 2008 年 3 月に伊福部先生の Ritmica Ostinata  をカラマズーで演奏する事が決まったんです。本当に何か見えない力で引き寄せられたといった感じです。

先生から何かアドバイスがありましたか

先生は誰に対しても丁寧に応対して下さる方なのですが、私はとても尊敬しており、いろいろ話したいけどお畏れ多いと思いいつも寡黙になってました 。最後にお会いした時は 栃木県 での演奏会が決まっていましたから思い切っていろいろお話しをさせていただきました。

曲は出来上がった時点で自分の手を離れるとおっしゃって、ご自分の考えられるようにしなさいと言われ、なかなかアドバイスを頂く事も難しかった。ちゃんと分かっていても押し付けない方です。

それでも間接的に私の質問の答えになるような テクニックの話や多くのおもしろいお話をたくさんして頂きました。

先生の前で弾いてアドバイスをもらいたかったのですが、その前に旅立たれてしまい、亡くなられた後は1ヶ月くらいはピアノを弾くことも出来ない、曲を聴くことも出来ないくらい哀しかったです。

伊福部先生との思い出のエピソードなどございますか

先生の言葉で印象的なのは「本当に良い味噌はミソ臭くない」 芸術ぶっているものは本当の芸術じゃないって事なんですよね。ゼミの時のメモを今でも見るのですが、とても役に立ちます。その時紹介された本なども今だに読みかえしています 。

山田さんにとって音楽とは何ですか?

ギフト (与えられた 頂きもの)ですね。それを通して人として成長していく。そうなりたいと思っています。

今度演奏される曲はどんなものですか

今回の曲も日本的な音楽ですが、 日本とかアメリカとか人種を越えて、 生命力溢れたそのエネルギーが魂に響く曲だと思います。

映画でもそうですが、目に見える美しいものをただ映すのではなく、その奥にある見えない大切なものを含めて、表現するからうったえる力があるのではないかと思うんです。

見えない部分のエネルギーが人に伝わった時に感動が生まれるんじゃないかと思います。

普通リハーサルで曲が終わった後に団員から拍手があるのですが、伊福部先生の曲を最初に弾いたリハーサルの時は拍手もなくシーンとしてしまったんです。

その後皆に聞いたところ曲が難しく、私のテンションがあまりにも高かったので、これだけテンションを高くもっていかないといけない曲なのかと思って引いてしまったらしんです。それだけ思い入れがある曲ですから弾いている時は何かに取り付かれているんですよね(笑)

オーケストラで人のミスは気がつくものですか

あっちょっと遅れてるなとか音が外れているなとか思うことはありますが、気にしていると自分の音楽が出来なくなってしまうので、大きな流れが変わっていなければ良いと思います。

良く音を間違わない、はずさないで綺麗に弾く人が上手と言われますが、そればかりに神経質になってしまうよりは作曲家のコンセプションがあって、聞いている人が心地よいと感じる事が出来る演奏がしたいですね。先程の見えているところと見えていないところですが、音が1つ2つはずれていても感動が伝われば良いと思います。

ご主人との出会い

主人はヴァイオリニストなんです。桐朋学園時代は小沢征爾さんの先生でもある斎藤秀雄先生にも師事し オランダ王立ハーグ音楽院を出ています。 最初アナーバーのバロックオーケストラで演奏するためにアメリカに来たそうです。

カラマズーシンフォニーの演奏旅行で日本人の小学 6 年生くらいの女の子がゲストバイオリニストとして演奏したんですけど、その子の最初の先生が主人だったんです。夫と出会った事でまた新しい事の出会いや気づきもあり、私がむかっている音楽を理解してくれている点でも感謝しています。

成功の秘訣

自分の心に素直になって、情熱を持ってやり続ける事ですね。意図した事をしても結構駄目ですよね。この曲の良さを伝えたいと思ったから上手くいった。結果はついてくるものだと思うんです。有名になりたいと思って成功されている方もいるとは思いますがハッピーじゃないような気がしますね。

物事は表裏一体だから大変な事の後には次のステップがある。何かが起こった時に何で私だけ.. と思ったら終わっていたと思います。私に与えられたもの、目の前のものを一生懸命やっていたら何かが開けてきた。

何が起こってもモチベーションを設定していける。上手くいく演奏会の前には熱があっても明日は駄目だとは思わない。やるべきことへ集中していると良い方向へ進みます。

同時多次元という言葉がありますが、世の中は同時に色々な事が起こっている。どっちのドアを選ぶかによって人生が変わってきます。同じ自分なのに上手くいく時と、そうでない時がある。上手くいくときは周りとの繋がりを強く感じます。それをコントロール出来たらもっと凄い事になっているんでしょうね(笑) 悟りの境地に達した人というのは、そういう事なんでしょうね。

アーティストとして成功する為に才能は必要ですか

才能というよりは人間性なんじゃないでしょうかね。人間感というか、やっぱりその人となりが音 (音楽) に出ます。 その人の経験や体験によって培われたものは自然と感性や表現力につながっていくのだと思います。

お薦めスポット

レストランでいえば Skokie / Lake cook & Dundee にある壁の穴というイタリアンは面白いですよ。 とても美味しいのですが小さいお店で メニューがなくって壁に全部書いてあるんです(笑) 現金しか駄目っていうのも特徴です。

ミシガンのアナーバーにある散歩道も良いんですよね。主人に連れて行ってもらうので正確な場所は分からないんですけど、とても綺麗なところです。

シカゴ郊外のサイクリングコースも素敵ですね。ボタニックガーデンまで続いているんです。ミレ二アムパークも音響がとても良いと聞いています。

本日はご多忙の中、貴重なお話を聞かせて頂きまして有難うございました。

インタビュー後記

色々な偶然もあって、会った瞬間からハイテンションでずっとお話しをして頂きました(笑) 
とても本当に明るく、楽しい情熱的な方、チャームもあり素敵な女性です。

波乱万丈、お話しを聞いていくうちに自然とこの言葉が浮かびました。生死を彷徨ようなご経験をされていらっしゃるにも関わらず、そんな事があった事を全く感じさせない明るさと大らかさがある。ある種の悟りのある方なのだと思います。

演奏をしている時のビデオを拝見させて頂きましたが、とてもダイナミック。お話しを聞いている時とは別人のよう(笑) 
伊福部先生の曲をピアノで弾いている時の楽しい雰囲気はそのビデオからも伝わります。
だって踊っているようなのですから(笑)

ご自宅の地下室にある2つのグランドピアノを弾きながら、その違いを教えてくれました。伊福部先生の曲を弾くにはこちらのものでないと可愛そうといいながら楽器を労わっていらっしゃいました。ここでは生徒さんに教えていらっしゃるとの事。

数々の困難を乗り越えられて今に至っている。今回もとても魅力のある、素晴らしい人と出会いました。

取材・文/小坂 孝樹  写真/N. Sato 
カラマズー交響楽団  http://www.KalamazooSymphony.com

BACK NUMBER

会社概要 | 採用 | リンク | 広告掲載 | 著作権 | ヘルプ | お問合せ

本サイトの無断転載を禁じます。
© ODEKAKE.US. All rights reserved.