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この度は「空飛ぶ社長のアメリカンドリーム」出版おめでとうございます。
素敵なタイトルですね
有難うございます。でもね、このタイトルは私が考えたものじゃないんですよ。
新風舎の磯貝編集長がこのタイトルが良いと薦めて頂いたので、「はい、そうですか」という事でご提案通りお願いしただけです(笑)

本のタイトルにあるように自家用飛行機で営業に回られたとの事ですが
そうですね。アメリカ、特にシカゴを中心とした中西部は広大ですから、自家用飛行機を使っての新規開拓、お客様回りは大変有効な戦略です。今でも自分で操縦してお客様訪問をしているんですよ(笑)
拝読させて頂きましたが、奥様の協力は素晴らしいですね
その通りですね、創業の時から苦楽を共にしていますし、現在も妻は役員として経理と財務を担当していますので一緒に過ごす時間は長いですし家族の絆は深いと思いますよ。それにアメリカでビジネスをしていく上で一番信頼の出来る家族が経営に参加してくれているのでとても安心です。 今でも感謝しています。
まずアメリカに来るきっかけを教えて頂けますか?
私は大学を卒業して、当時 10 大商社の1つ関谷産業に就職しました。その頃の日本は朝鮮戦争特需ブームが終わり、不況に突入していたので大変な就職難だったのですが、幸いにも大学から推薦をもらい問題なく就職する事が出来ました。
そこは総合商社でしたが、 80% は繊維の売上でした。私はその頃からもう繊維は下降の一途を辿ると確信していましたから、面接試験の時も非繊維の部門に配属してくれるように不採用を覚悟で面接官と論議をした程でした(笑) 幸い入社後も希望通り非繊維部門となり、 1 年半後には沖縄駐在となりました。当時の沖縄は米軍占領統治下の外国でしたからパスポートとビザが必要だったんですよ。
その後、伊藤忠に系列化されトップが交代になった時に提出した論文が認められて 2 ヶ月間のアメリカ出張し 1967 年 32 歳の時にアメリカ駐在となりました。当初 3 歳半になる長女、 2 歳にも満たない長男を残しての単身赴任でしたから心が痛みましたね。
もともと商社出身なのに何故メーカーを創業されようと思ったのですか?
商社時代に色々なアメリカ企業を見て回った時に、アメリカ企業の雑な仕事ぶりを肌で感じました。これは日本人だったらもっと上手に作れる。 100 点満点じゃなくても 90 点くらいは出来ると思っていました。それに商社としてどんなに大きなビジネスをしても、利益は限られています。それだったら利幅の大きいモノ作りをしたいと思ったんです。
それにメーカーであれば機械や工場にしても償却資産として会社に残り、キャッシュフローに貢献しますからね。
商社出身の人は商圏を持って独立する事が多いのですが、設立当初はそれで良いでしょうが商社だって巻き返しに掛かりますからすぐに逆転されてしまいます。それで駄目になった人を大勢見てきています。
私が独立する時も商圏を持っていかないかと随分聞かれましたが、モノ作りをやりますから心配いらないと言ったんですよ(笑)
全く未知の分野でご苦労が多かったのでは?
設立当初は理研発条とパートナーでやりました。自分の退職金を全て注ぎ込んで機械を購入し色々と教わりながらやっていましたが、これからのビジネスは自動車をやらなければならないと言った私の意見と合わず、「あなたは商社マンだから機械があれば簡単に出来ると思うかもしれないが、そんなに簡単じゃない。 CNC の機械を買って自分でやりなさい。」と言われ 4 年でパートナーは解消となりました。
それからは試行錯誤の連続でしたね。苦労と思えば苦しかった時代もあったのでしょうけど、喉もと過ぎればじゃないですが、今は苦労だとは思いませんね。何しろ無我夢中でしたよ。
創業当時は無収入の月が殆どでしたから給料も取れない月が何ヶ月も続きました。幸い社員の為にと思って買った家からのレント収入があり、何とか生活は出来ました。その後この家が値上がりして資金繰りを支える事にもなりました。
独立起業された最大の理由は何ですか。
私が独立を決意したエポックは2つあります。一つは関谷産業が伊藤忠の系列になっていて廃統合され別の会社の社員となるかのという端境期であった事。 13 年アメリカで駐在し、支店長としてやってきた今までの勲章が全部消えてしまうと思ったんです。
もう一つは丁度 45 歳の時に帰国の辞令が出た事。子供達の教育の問題で私 1 人が帰国するか家族と残るかの選択となりました。どちらかと言えば家族と離れ離れになってしまう事は出来ないと思った事の方が大きいですね。
それでは家族と一緒に住む為に独立を決意したのですか?
そうですね、子供達からは「帰るんだったらお父さん 1 人で帰ってくれ」と言われていましたからね(笑) その代わり独立を決め子供達の希望通りアメリカに残るけど、日本語だけはきちんとしゃべるようにしなさいというのが条件でした。
ですから現在社長をやっている稔も弟で副社長の豊も日本語も英語も問題ありません。これはアメリカで日系企業とビジネスをしていく上で重要な事です。ただしゃべれるだけではなく、日本の文化風習を理解し、日本語でビジネスや商品の特徴をきちんと説明出来る。だからお客様も安心して仕事を任せる事が出来、信頼して頂けるのです。
独立に際し日本のご両親やお友達の方々から反対はありませんでしたか?
13 年間アメリカで支店長としてやってきたのだから、これからもやれると言って賛成してくれる人と、再就職する先は幾らでもあるし、何もリスクを背負って独立しなくても良いだろう、一度は日本に戻って来いと反対する人、 3 割は賛成、 7 割は反対でしたね(笑)
父からも「アメリカのビジネスを分かっているのだから独立してもやっていけるだろう」というサジェスチョンもあり、良し、やってみよう! と思いました。
御社の最大の特徴はスプリングを曲げる技術ですね
ワイヤーをただ巻いてスプリングにする事はそれ程難しくはないんです。しかし当社のスプリングのように、ここを曲げて尚且つもう 1 度内側に折り込むような技術は相当に高度な技術が必要となります。
それをする事によって自動車メーカーとしてはパーツの大きさを抑える事が出来、かなりのコスト削減になるのです。
弊社ではこれを全て機械でやりますが、他の工場は 80% がただ巻くだけの機械しか持っていませんから、ここを手作業でやらなくてはいけなかったりするので通常では品質が合わなくて出来ないのです。
しかもワイヤーもアメリカ製では粗悪なところがあり、この曲げ部分が耐えられない。だからワイヤーも全て日本から輸入しているのです。
そこまですると御社でもコストが合わなくなるのではないですか?
そこは商社マンとしての発想で、高額な CNC 自動成形機を購入しても 24 時間機械を動かし無人運転管理システムを構築すれば採算が取れると考えた訳です(笑) やはりメーカー出身ではないところが、こういった時に違った観点からものを見れるので役に立ちます。
何故他社の工場は汚れているのに、御社はこれ程クリーンなのですか?
アメリカの企業は古い機械を使いコストを抑えようとしています。だからパーツの交換などが必要となり、その都度油が漏れたり汚れたりします。弊社では最新の機械を日本から調達しておりますので、ご覧の通り床も工場内もクリーンです。
機械を1台購入するのには膨大なコストが掛かりますが、それでもお客様に満足をして頂く商品を提供する為には最新の機械を購入したり、設備投資していかなければいけません。
そして、従業員にも気持ち良く働ける環境を用意し、意欲を向上させる事が重要です。
数々の表彰状がございますね
はい、誠心誠意お客様の要望に応え満足して頂く事を常に考えつづけていましたので、お陰様で取引先のお客様からは信頼を頂き、随分表彰状も頂いております。これは我々の努力が認められた成果だと感謝しています。
また、弊社ではかなり高額な検査機械を導入して検査をしています。これに掛かる費用は一切お客様から頂戴していないコストですが、それでも取引して頂いている企業が満足して頂き、安心して使って頂く為には必要な事です。その甲斐あって弊社商品を使ってリコールになったとか、事故が起こったなどの問題は今まで一度もありません。
その他、個人としてはエルクグローブ市とセントチャールズ市の名誉市民として表彰もして頂き、 2002 年にはブッシュ大統領の晩餐会にも招待されました。
ブッシュ大統領からも招待されたのですか。
2000 年にアジア系最優秀製造業賞を授与されていた関係でイリノイ州からの招待客 10 人の中の1人に選ばれました。テロの後だった為警戒が厳重なホワイトハウスには入れなかったので、隣りの迎賓館で開催されました。
日本人としては唯一私と妻が招待されワシントン D.C. の迎賓館での晩餐会にいったのですが、大舞踏会場は壮観で豪華絢爛を象徴するアメリカのシンボルのように見えましたよ。
創業社長の場合後継者対策も重要だと思いますが。
2001 年に心臓の手術をしたんです。丁度イリノイ会のゴルフをやりに行った時に喉に何かが詰まったような、喉の筋肉が締められるような気持ちになって、胸が苦しくなったので水をもらいました。そうしたらスッと気持ちが楽になったので、そのままゴルフをやったんですが、家に帰ってから病院で検査をした方が良いという事になり日本クリニックに行って来ました。
すると深刻な心臓疾患と診断され、すぐに心臓専門医に送られました。右心房閉鎖を起こしていてすぐに入院、手術と言われたのですが、仕事もあるしそうもいかないと言ったんです(笑) 3 日間の猶予をもらい、息子達に引継ぎをしてバイパス手術をしました。
9 時に入院したんですが途中で意識不明となり 3 時にはバイパスオペレーション サクセスフルと言われたんです。幸い手術が上手く行って今は元気になっています。
その療養中に 20 年前のオールドコンピュータの脳ではこれからは何も出来ない。世代交代のタイミングだなと思ったのです。私の不在中も長男稔、次男豊を中心に社員達が一丸となって会社を支えてくれました。これからは若いエネルギーが大切です。
創業当時と現在では何かが違いますか?
お客様、従業員、株主を大切にするといった基本理念は変わりませんが、従業員が 50 名を越えたあたりから、会社は自分だけのものではなくなりますね。 400 名を越える現在はアメリカ社会に奉公しようという気持ちだけで、自分の事は殆ど考えていません。
アメリカですから起業して会社が軌道に乗れば、会社を売ってお金儲けをするという考え方もあります。現実に何社からもそういったお話しがあり、 ARK と ALTAK のユニークさを買わせて欲しいと言われた事も何度もあります。
息子からも CASH に換えて引退する事は考えないのかなどと言われた事もあります(笑) DUN & BRADSTREET の評価も高いですし資産価値もありますが、自分の利益よりも社会貢献、日本人の精神でお客様の期待に応えるといった気持ちでこれからもやっていくつもりです。
最後に成功の秘訣を教えてください
そうですね。妻いわく私は自分の会社なのに自分のお金だという意識が全くない。妻は財務の責任者で創業時からずっと見ていますので良く分かるんですね。
会社が大きくなり利益が出ると家を買う、車を買うなど会社と自分のお金の区別がつかなくなる人が大勢いますが、私は公私の区別して会社のお金には一切手を着けませんでした。
自分の年齢とやれる能力を考えると皆さん会社を売ってキャッシュに換える事を考えられますが、私は全然そういう気持ちにはなれない。 ただ世代交代を果たさねばなりません。
取引企業に感謝されるのが嬉しくて、お客様と従業員の為にやってきたという気持ちが根底にあり、実体が 26 年間ついてきたという事なのでしょう。
本日はご多忙の中、貴重なお話を聞かせて頂きまして有難うございました。 |