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 アメリカで輝いている人 VOL.26
 奥泉 栄三郎さん (MR. EIZABURO OKUIZUMI) 
 
シカゴ大学図書館 日本研究部門主任司書
 The University of Chicago Library Japanese Studies Librarian

アメリカで活躍されている方々にインタビューをし、その人の活躍の場、内容、素顔を通じよりアメリカを知っていこうと企画された“Brilliant People” 輝いている人!

第26回目に登場いただくのはシカゴ大学司書の奥泉 栄三郎さんです。
奥泉さんはシカゴ大学図書館(レーゲンシュタイン図書館)の日本研究部門の主任司書として在北米日本人の記録などを監修されたり、数々の貴重な書物の編集・管理をされる傍ら シカゴ大学第一号博士論文を書いた浅田栄次博士の論文を復刻する他、明星大学、法政大学で研究サポートをするなど多方面でご活躍。

−経歴−

1940年 群馬県渋川市出身
1968年 慶応義塾大学文学部及び法学部 卒業
1973年 慶応義塾大学 大学院 文学研究科図書館・情報学専攻課程修了
1974年 慶応義塾大学研究・教育情報センター(三田)収書課主任を経て
      メリーランド大学図書館司書
1984年 シカゴ大学図書館(レーゲンシュタイン図書館) 日本研究部門主任司書

主要発表論文
「日本占領期の極東米軍情報収集活動と組織」
「戦時教化・宣伝用刊行物−日本占領下の没収計画とそのゆくえ−」 など

シカゴ大学というのは素晴らしく綺麗なところですね

そうですね。シカゴトリービューン紙の WONDERS 7 というシカゴの人気エリアを選ぶ欄があるのですが、その中でシカゴ大学とこの大学のあるハイドパークの産業科学博物館が入選していますからね(9月15日発行号)。確か1位は湖岸周辺ラインだったと思いますよ。ミシガン湖畔は抜群じゃないですか。そう云えば、大学で入っていたのもシカゴ大学だけだったですね。
それにシカゴ大学には関係者でノーベル賞受賞者が78人もいます。2002年には小柴昌俊先生が日本人として初めて物理の分野で大学の受賞者リストに加わりましたね。その中の6人は今でも現役でここで教えています。そういう大學も珍しい・・・

シカゴ大学図書館にはどれくらいの本があるのですか?

日本語の本だけで20万冊はあります。全体では200エーカー程の構内に1,500万〜2,000万点に近い本や文書があります。シカゴ大学の、もう一つの大きな財産ですね。本だけではなく、シカゴ大学は約110年前の万博の広大な跡地に、教育研究やスポーツなどをする環境が用意されていて、創造力・発想力の源泉に繋がっています。

大学に良い図書館があるのは当たり前と思われ勝ちですが、コレクションを充実させ、これを効率良く運用してゆくことは大変な仕事です。日本関係資料を組織的・本格的に取り扱っている部局はシカゴ地区でもここしかない。歴史的には、戦前に近郊のノースウエスタン大学でも日本研究が盛んでした。が、今は向こうでアフリカ地域研究に力を入れ、一方のシカゴ大学は東アジア(中国・日本・韓国)研究に的を絞り、この両大学は教育研究分野の一部を棲み分けています。

これだけの本を貯蔵しているのは素晴らしいですね。


図書購入費や関係人件費などたいへん嵩んできています。シカゴランドの中には100を越える大学・カレッジ等がありますが、こういう事をやっている機関はシカゴ大学しかないのですね。この点ではシカゴ大学の存在意義と使命は大きいと思いますよ。しかも、お山の大将になっているのではなく、皆さんの協力のお蔭でこれが出来ているという認識がある。だから、日本語資料についていえば、日本語が読 める人には広く見せてあげる。利用していただく。学外者にも解放する。そういう性格の財産・文化遺産になっています。

収蔵能力という点からみると、どこの主要大学図書館も書庫は満タンです。本を1冊増やすと古い1冊を専用倉庫にしまい込んでしまう所が多いのですが、シカゴ大学はそのやり方には疑問をもっており、1970年代初めに国家国防教育法による建設援助まで受け入れてこの巨大な建物を作ったのですが、 既に書庫スペースは狭くなってしまっています。建て増しをすると美観を損ねるという観方もあって、地下に電動書庫を導入し当座の問題を解決してきました。しかしながら、それも2009年には一杯になってしまうので、最近、図書館棟増築計画が大學の理事会で承認されました。完成すれば、その後の20年間はもちこたえるでしょう。数年後にこのレーゲンシュタイン図書館は単一屋根の建物としては、北米最大規模となり、書庫からの図書の出し入れ等もコンピューターを駆使した、機能的研究図書館になっているはずです。

コンピュータ化はしないのですか?


永い当図書館サービスの歴史のなかで、途中からコンピュータが入ってきましたから多言語書誌データベースを作っていっていますが、年間5,000冊前後増加する日本語図書(図書館全体では年増約15万冊)をデータベースで読み取りながら、必要事項を入力し情報を更新しています。一方、膨大な古い蔵書群をデータベース化しオリジナルの保存に努める。ですから、最近はじめたような図書館、あるいは比較的中小規模の所では、すぐにコンピュータ化に飛びつきますが、歴史のあるシカゴ大学のような大型図書館では、新旧の蔵書のコンピュータ化に膨大な作業時間と費用がかかります。

年々歳々、研究や教育用の電子情報資料費は急速度で増加しています。検索の手段や文字や分類を変えると、コンピュータ導入前の本も一定の基準で調べられるようにもしています。それにしても、最近は、利用者も最小限の「図書館利用の仕方」を学習する時代になってきましたね。

もちろん電子図書館の発想もありますが、プロバイダーが潰れれば一気に困ってしまう。システム上のダーンもあります。街の小さな大学はコンピュータ化していますが、シカゴ大学はその流れとは幾分違います。資料をマイクロフィルムに置き換えたりもして紙とエレクトロニックの両方で学術情報を保管し提供します。貴重書や古い文献の電子化を中心に当図書館の動きも活発です。研究意欲や教育効果をあげるためには、情報化されたもの(メタ情報)と、望むらくは本物・オリジナルも必要なのです。そういう価値観を認めるかどうかですね。これから先、必要に応じて日本関係資料のコンピュータ化が時代の流れとなってくるでしょう。日本製のものを適時に導入する。独自のプログラムを立ち上げる。北米単位の有力大學で共同開発する(コンソーシアムを組む)。こんなことを念頭に考えています。

ところで司書というお仕事について教えて下さい。

私の仕事は大きく云ってしまえば、二つですね。一つは、言語を問わず日本に関する文献資料を集めて組織化しておくことです。専門的には「蔵書構築」といっています。後のひとつは、言葉は良くないのですが、「利用指導」ということですね。これだけのものを死蔵させたくないですね。私は日本語図書を中心に、「日本研究」をしている主として院生や研究者に情報を提供し、集めた文献や情報を利用してもらう立場になっています。むろん、その他いろいろな雑務がありますよ。アシスタントがいてくれるからこそ、出来ることです。

司書職の定義は簡単ではありませんが、こんな仕事を専任でやっている者がいるということを理解していただければ、それが仕事の定義につながるとも思いますね。

本というのは、人の行為や感情や知識に関わる情報を、文字とイメージで残しています。口頭・オーラルで引き継いだものも大切な引き継ぎ法の一つですが、文字に記録化して、特に外国で整理され、保存されているという事実はスゴイ事で大切です。本というのは物言わぬ外交官ですね。しかも出しゃばらないし(笑)、この本を読んでくれた人には貴重な情報となり得ますが、読まない人には何も迷惑をかけない。調べたいと思えば、また、使う力が読者にあれば、いつでも対等に応えてくれる。この場合、読み手の読み方も問われるのです。例えば、皆さんが図書館に行って人物について書かれた本(伝記)を読むという事は、誰々に会って会話が出来たという事なんです。物理的にはただの本だけど、質問をすれば応えてくれる。多くの場合、そうでしょう。そんな仲をとりもつのも、私の仕事のひとつです。

具体的にはどのような事をされるのですか?

そうですね。蔵書構築に関して云えば、いろいろな内容と形態による日本研究のための図書館資料を収集しています。主たる対象は学術図書・雑誌です。主として東京からの出版取次ぎ業者経由の購入ですが、寄贈の比率も高いですね。トッテモ アリガタイデスネ。日本文化を教え研究するためには、映画(フィルム)やその研究書類・アニメ・会社史・マンガなどの収集にも手を広げています。

関係者からリクエストも受けます。最近、黒澤の映画「赤ひげ」DVD版が紛失状態なので再購入して欲しい、という要望が寄せられました。古い本や新書版・文庫版・パンフレット類を保存の為にハードカバーに作り直す(再製本)ような事も担当者に指示します。内容的には、特殊な文献も収集・保管しています。

例えばミッドウエスト地区の日本人会の刊行物、、双葉会日本人学校の刊行物、シカゴ新報やQマガジンなどです。シカゴ新報は発行元の了解を得てマイクロフィルム化しています。OCSニュースなども30年の歴史がありますね。広告収入の激減で、今春突如として廃刊になってしまいましたが、読売新聞NY版などと共にマイクロフィルムで保存して行きたいと思っています(作業一部開始済み)。新しい新聞にはカラー写真が豊富です。カラーをマイクロフィルムで保存すると費用が割り増しになってきますので、現物でも残したいですね。部分的にCD化しておく手もありますね。

話しは前後してしまいますが奥泉さんは何故司書になられたのですか?


動機はまったく曖昧なものではずかしい(笑い)。「行き場」がなかったから、というのが正解です。私は慶応大学の図書館学科という所を卒業したのですよ。戦争に負けたから出来たような新学科ですね。Japan Library School (二枚看板)と言って校長もいて独立したような組織でしたね。

1950年代初頭にアメリカ式の開かれた図書館を日本の各地に作るという占領軍(GHQ)の政策があり、将来的な事を考えて日本にその要員を養成する機関を作りたかった。色々と候補先の調査があって、結局は慶応大学がふさわしいという事になったんですね。

情報を扱うわけですから、ワシントンの国務省・ペンタゴンなどからサポートがありました。むろん、シカゴのアメリカ図書館協会本部も専門的な協力を惜しみませんでした。当初は教材もアメリカ製、校長も先生方もアメリカ人でした。記録によれば、開校式にはアメリカ国歌がナマで流れた、ということです。

私は13期生だったけど、昭和30年代の後半に必修科目としてコンピュータのクラスを取っています。文科系で、ですよ。いま現役でその頃にコンピュータの正式な授業を受けた者と言えば、この世界で私一人くらいになってしまいました(笑)。パンチカードというのがあって、コボル言語をかじった記憶があります。慶應は文学部にも先端的なカリキュラムを取り入れて戦後を出発していたのですね。

図書館というのは倉庫ではなく、皆で使える市民の為のものというのは今では当たり前の考え方ですが、当時は東大や東京教育大学などは旧勢力が強くて、ライブラリーは一般には開放されていなかったんです。本が傷むから一定の手続きをとった一部の人だけ、つまり専門家が本を観ることが出来るという時代です。このような風潮に対抗する変革が、当時慶応で始 まっていたのは深い意味がありますね。

敗戦直後期の状況では旧日本的な学者先生が沢山いて、大学図書館を一般に公開するという考え方にもっていくのが難しい。その点、慶応は福沢諭吉と門下らが何度もアメリカを行き来 し、アメリカ式をいち早く取り入れた伝統もあり、ソフトな面での積み重ねも効を奏して、アメリカ式図書館学校の誘致に成功したのでしょう。

ここを卒業すると、日本で図書館学を大学レベルで勉強した者といえば慶応卒業生だけですから、大学を通じて卒業生にはアメリカからの招聘や引き合いが少なくありませんでした。卒業して慶應大学に奉職していた私ににも声がかかって来ました。将来慶応の図書館を発展させる為に少し勉強するという意 味合いもあり、メリーランド大学(ワシントンDC近郊)に派遣されました。1974年の夏でした。そこでGHQが日本の占領管理の一環として収集してきた図書・新聞・雑誌の山に出会いました。ほとんど手付かずの状態にあったものを整理する仕事に就きました。交換研修生の身分で大学院のライブラリー・スクールにも出て授業を聴講しました。そうこうしている間にメリーランド大学側から専任担当職員の募集の話が持ち上がり、私が運良く採用されました。人がクルクル代わってもいけないという背景があったのでしょう。結果的に派遣先での本職退任となり、慶応大学にも随分と迷惑をかけてしまいました。

ともあれ、メリーランド大学図書館で10年間やりました。 成果としては、バイリンガルで占領軍検閲雑誌目録を纏め出版しました。対応する雑誌と関連検閲文書等は260リールのマイクロフィルムに収め、日本に里帰りさせることができました。そのニュースは、例えば、朝日新聞の第一面記事にもなっています。この辺りの経験を通して、私はこの道のプロを志したように思います。話が長くなっちゃって申し訳ありませんね。

在北米日本人の記録など数々の監修をされていますが..

これは私のとらえたプロジェクトの一例です。それなりに大型化して行くのではないでしょうか。在米日本人の記録というのは、幕末−明治−大正−昭和に亘る在北米日本人のパイオニアと呼ばれる人達の生活史と略伝の集成ですね。地域範囲は、ハワイ・メキシコ・アメリカ合衆国・カナダをカバーし、一時滞在・留学・出稼ぎ・移民などの日本人群像を各界から掘り出します。いわゆる日系人も、少なからず対象に考えました。人物からも分かる、本を書いた年代や書名からも彼らの生活記録や思想形成が分かるようなアンソロジーです。古い書物を現代の技術で正確に読み取って電子復刻を続けています。

在北米日本人の自分史・社会史と歴史記録類は、自費出版だったり、非売品・会員配布用だったりしたので、発行部数や流通経路がはっきりせず入手が難しい。特に昭和戦前期とそれ以前の文献は、サンフランシスコ大震災や米軍による対日空襲、開戦時における米国連邦政府筋の在北米日本人家庭からの資料没収・接収などで、やたらと散逸・焼失したものが多かったのです。もともと各著者も無名の存在で、本造り自体が広く流布することを目的としていたのではなく、生活者としての歓びや煩悩などを書き残しているものでした。次世代へのメッセージとして伝え遺したかったのでしょうね。わかりますよ。日本における体験的なアメリカ観の形成にも、根っ子のところで寄与しています。貴重ですね。

第一期分はすでに完成しました。北米編26タイトルを25冊に、ハワイ編を10タイトル9冊にまとめて見ました。第二期分も近く出版される予定です。ご期待下さい。

例えばどのようなものが載っているのですか?

一例を挙げれば、北米各地の県人会・日本人会関係資料と写真アルバムですね。『在米広島県人史』(昭和4年刊)は傑作のひとつです。各地の在米日本人発展史関係文献にも見るべき内容があり、『米国に住む日本人の叫び』(昭和15年刊)などは記録性が高いですね。『在米日本人人名辞典』(大正11年刊)も、得難い基礎人物情報を与えてくれます。向学心に燃えた日本人留学生の記録や手紙類は、今でも瑞々しい新鮮味を伝えています。さて、これらをどのように利用するかは個人個人その人なりの問題となりますが、私の役目はその人達に材料を提供するということですね。ですから、私見は最低限に留め、出来るだけあるものそのままを伝えるようにしています。資料を発掘し再製して提供し、それらに語らしめることが第一義です。私の意見の入ったものは研究書として別なものとして出版したいですね。

そのようなパイオニア的日本人を見ると如何ですか? 今の日本人とは違っていますか?

うーん、そこですね問題は。戦前の日本人は良く眼に見えました。したがって観察できたのですよ。最近の日本人ときたら、顔が見えない。小利口になって目立たない。共存・同化で精一杯。島国根性などと言われて日本人のスケールは小さいと言われていますが、仏教圏の人間がキリスト教文化圏に来て、良い所を沢山見せていると思いますよ。その逆に日本人は良く学んでいます。勇敢ですよね。

例えば藩 士・士族の息子たち、殿様の子息など日本に居れば悠々自適で遊んで暮らせるような若者がアメリカに来て、皿洗いからはじめて博士号まで取って日本に帰る。昔は故郷に錦を飾るという気概が強かった。大ロマンがありました。女子留学生も地下鉱脈のように跡を追いました。

排日運動などの歴史記録を見ると、アメリカ社会に溶け込む事の大切さなどが良く分かります。日本人は他の国からの出稼ぎの人達と比較して見ると面白いですね。国を想い、残してきた兄弟・姉妹・家族・親戚への気持ちが強いんですね。それが生活の原動力になっている。お金が貯まれば呼び寄せる。そして子供たちには日本に返して日本の良い所を学ばせ、また渡米の機会を与える。

「帰米二世」と呼ばれる人達ですが、このようなやり方は必ずしも特殊ではない。頻繁におこなわれていた形跡があります。そういう事をする民族・国民は少なかったんですね。日本人の場合、自分を試してみるという気持ちと、祖国を思う気持ちがあったんですね。 それでは今の若者はダメかというと、そんなことはない。一種の平衡感覚をもって成長していますよ。

アメリカに来て大きな成功をおさめた人も数多くいたのですか?

そうですね。たくさん名前が浮かびますね。ぶどうキングとかポテトキングとか呼ばれた人達なんかがいましたよね。同志社大学をおこした新島襄・太平洋の架け橋となった新渡戸稲造・医学界の野口英世・民間外交を推進した高峰譲吉などなど、それは多彩です。でもね、日本人の成功組みにはそれぞれの意味があると思います。成功とは何ぞや? 考えさせられますね。

それはともかく、太平洋戦争期を前後した挫折はありますが、日本人に関するサクセス・ストリーは少なくありません。大きな成功をおさめた人たちについては、繰り返し繰り返し、評伝・伝記・研究書が書かれています。論より証拠、当図書館で調べてみて下さい。 ところで、昔から夜目遠目(よめとおめ)と云って、伝記類には偉人的人物や女性が実際より逞しく、あるいは、美しく描かれがちです。読書にあたっては、チョットご注意下さい(笑)。

浅田栄次博士の論文も纏めていらっしゃいますね

浅田栄次はシカゴ大学で初めて博士号(PhD)を授与された明治の国際人です。明治26年(1893年)6月23日のことでした。今でも毎年のシカゴ大学カレンダーにこの事実が印刷されています。日本の英語達人の三傑の一人と呼ばれ、東京外国語学校(現・東京外国語大学)設立に際し尽力し、数多くの優秀な英語教師を育成したことで知られております。日本における旧約聖書研究やエスペラント語普及の先駆者でもあります。

山口県徳山市(現・周南市)の出身ですが、山口には明治の初めに既に英会話学校がありました。山口県の殿様は先見の明を持っていたんですね。海にも面し後ろは山という立地条件は、必然的に青少年を中央に出す、外に出す土壌にもなっていたんです。

シカゴ大学開学第一号の博士論文となった、浅田栄次博士の旧約聖書研究論文を2001年に電子復刻しました。同時に本書には、浅田栄次コレクション(マイクロフィルム)の内容細目早見表と英文評伝などを加えておきました。この作業も浅田家の皆様の協力を欠いては実らなかったことです。浅田博士の孫が現在北米で二つの会社を経営しており、親しく家族付き合いをしてます。

今まで司書という職に就かれて印象に残っている事はありますか?

1多くの書物と接触できたこと、各方面の多くの人たちを知ったこと、日米の大学図書館界であれやこれやとやってきたこと、こんなことが本職の冥利に尽きます。 慶應大学やメリーランド大学での各10年間、それとシカゴ大学でのこの20年間、通算で約40年間のライブラリアン人生は、私のすべてという感じもします。印象派なんですね。仕事柄からして、一向に終りがなく、クライマックスがありません。淡々たる日常です。それでも、折々に仕事に対して熱情が湧いてくるのは、自分の仕事が誰かに役立っていることを実感する時ですね。

これだけのことをするのには膨大な時間とお金がかかりますね。

大学の予算で賄えない所は企業や個人の寄付に頼るところが大きいです。助成金や寄付金集めも私の仕事の一部分です。大阪商工会議所寄金・元総理大臣の田中角栄(日本研究振興)寄金・元駐日米大使のインガソル寄金などはそれぞれ1億円規模のもので、金利運用により日本書を毎年購入しています。

最近では、東芝国際財団(The Toshiba International Foundation)から読売新聞の創刊から1945年までのCD版ほかを現品で寄付していただきました。 大学の年間予算ではなかなか購入し難い大型セットを、このように寄贈依頼して入手する。まさにブリリアントですよ(笑)。

2年前にトヨタ工業大学がシカゴ大学構内に出来ましたね。世界的な教授陣を20名程時間をかけて集めている最中です。情報処理学・コンピュータサイエンスを研究教育する、専門特化した博士課程のみの先端大学院大学です。学生定員も20名前後にしぼっています。施設は、図書館も含めてシカゴ大学のものを使いますが、卒業証書はトヨタ工業大学から出ます。名古屋にある本校(豊田工業大学)のブランチでないところがミソで、独立機関としてイリノイ州の高等教育局から認可された大学です。トヨタの後押しがありますし、10年・20年の歴史を踏んでいったら、その時はかなり良い結果を予想出来るのではないでしょうか。とてもインパクトのある、刺激になる機関が入ってきました。この先、両大学による人物交流計画や研究教育の共同開発面などで、良い成果が生まれてくると思いますよ。

今後の夢は?

日本企業が直接・間接的に大学を経営しアメリカに協力して一つの新組織を作る。シカゴ大学が蓄積したものを提供して相互の発展を図る。良き時代の兆しとみています。何か、そういうクリエーションの拠点にしたい。微力を尽くしたいとおもいます。

そうそう、さっき浅田栄次博士の話が出ましたが、今のところ、学内に記念物が一つもないので、気の利いた「証拠」を残しておきたいですね。出来るのなら、小さい使い道のある記念物がいいですね。胸像とか記念碑はどうもテレ臭い。もっとも、出生地や東京には見てくれの良い記念碑が建立されていますし、英語弁論大会を催すなど活発な動きも見られます。シカゴ大学内には篤志家により「浅田栄次記念論文賞」も設立されています。こういう基金に上積みしておくのも尊い考えですね。死ぬまでに、何かしてみたい。

日米交流150周年記念外務大臣賞おめでとうございます。
青木功さん、岡本綾子 さん、クリスティ山口さん、五嶋みどりさん向井千秋さん、
毛利 衛さんなどスポーツ・音楽など数々の著名な方々が受賞されていますね。


ありがとうございます。皆さんの協力があってこそ、こういう仕事を長く続ける事が出来たのだと思います。。陽の目を見ましたね、といい寄ってくる友人もいたりして。アメリカ広しといえども司書という職業をしていて、こういう目立つ(?)評価をして頂いたのは珍しいでしょうね。むろん、第一号ではありません。

成功の秘訣は何ですか

それを聞かれては困りますね。秘訣もなにもないです。ただ凡庸とやってきただけです。秘訣ではないですが、人にはそれぞれに固有の大事なものがあるとつくずく思いますね。両親・兄弟・子供・上さん達の協力、長く見守ってくれていた事も感謝しています。特に田舎の今は亡きお袋には頭が下がる思いで、この十年程毎年墓参を重ねています。自然な気持ちからです。

私は5歳の双子の女の子を連れてアメリカに来たのです。この双子の娘たちがここの大学付属の高等学校に入って飛び級で卒業出来ました。私がこのような職についておりましたので、学部課程の授業料などはどこの大学へ進学しても全額免除といった優遇をしてもらいました。娘達はそのままシカゴ大学に進み、同期生などと共に溶け合って上手くやってくれましたね。大学院からは親元を離れてそれぞれの専門分野に進みました。いま私の家族は医師2、国連上級職員2、孫2と膨れあがりました。ワイフは正看護婦を経て今では専業主婦に満悦な様子です。

わずか滞米生活30年間で色々な事が起こりました。ビザの問題で両親の葬式にも出席出来ず残念な思いもしましたが、アメリカで新しい家族も出来、そういった事が私のやる気、メンタリティに繋がっているのでしょう。群馬県の片田舎に住み着いていたら、起こらなかったであろう事が次々と生起しました。

プライベートな時間は何をされているのですか? 趣味は?

家族持ちでしたからね。郊外に住みペットを飼ったり、ガーデニングや読書、旅行などを楽しんできました。そういう点ではたいした道楽はないですね(笑)。本を読んだり調べたりすることは好きですね。余暇の時間も私の場合はやっちゃって家族に注意される(笑)。家族との付き合いでコンサートやスポーツ観戦にも行ったりしますよ。断わると変人扱いにされちゃいますから(笑)。

今でもその日その日が留学しているようなもんですよ。これを英語で表現するとどうなるか? 辞書を引けば良いというもんじゃない。そこに生活している人の言葉で表現する。外国にいるから面白さが分かる。日本にいたら毎日が忙しくて自分が分からなかったでしょうね。

最後にお薦めスポットをご紹介ください

シカゴあるいはシカゴ近辺の大学施設を見て回るのは素晴らしい事ですよ。お薦めします。若い人にもお年寄りにも向きますね。散歩をしていても緑や木々があり、校舎と良く調和されていて、自分の時間を作ってくれる空間です。無料の公開講座やスポーツの対抗戦・ミュージックなども花盛りです。ぜひ、大學のキャンパスはひとつでも多く見学してもらいたいですね。日本では観られない景観です。 私共も数年前にシカゴ市街のド真ん中に引っ越して来ました。正直云って、シカゴにこれほど魅力的な文化施設・美術館・博物館・公園(特に湖辺)・スポーツ施設・レストラン・劇場・ナイトライフがあるとは思っていませんでした。どうぞ皆さんも、自分の足で存分歩き廻ってください。

本日はご多忙の中、貴重なお話を聞かせて頂きまして有難うございました。

インタビュー後記

奥泉さんは本当に本が好きなんだと思います。本と会話されているように感じます。そして何を聞いてもすぐに答えてくれる。まるで図書館にある本を全部読んでしまっているようでした(笑)。奥泉さんが監修されたものを見せていただきました。どれも貴重な資料を丁寧にしっかりと綺麗に纏められていて、後世の人々の為に残し、役立てようという気持ちが伝わります。

自分の為にやるのではなく皆の為にやる。自分の意見を述べずあくまで人の為に影となり情報を伝える。そして橋渡しをしてあげる。その為に自分も研究を惜しまず、本を未来に残していくために整理していく。一見目立たないけど重要な司書という仕事に物凄い信念を持っている。今回もまた素敵な人に出会えました。

最後にご家族のお話もして頂きました。家族に支えられて仕事をして来れたことや二人の娘さんがご自分の仕事を直接継ぐことはありませんでしたが、弁護士と医者という立場になってやり方は違いますが自分の意志を継承してくれた事をとても喜んでいるようでした。

司書というお仕事の傍ら海外で日本研究をされている第一人者として明星大学や法政大学で研究のサポートをしたり、学会で講演されたりとご活躍です。

随分長時間お話をお伺いしたにもかかわらず、インタビュー後に館内をご案内頂き色々と教えてくれました。これだけの本が閲覧出来る施設を見た事がない程素晴らしいところでした。窓からあれが原爆の出発、ヘンリームーアの原子の彫刻ですよと教えてくれました。以前はフットボール場があって選手達は実はFBIで警備していたのだと真実とも冗談とも取れるようなお話もして頂きました(笑) 古い日本語の本を見せて頂き、シカゴを市俄古と書かれていたり、特別な辞書がないと解読出来ないような本も沢山ありました。 もっともっと色々とお話をお聞きしたい事が沢山あり、いくら時間があっても足りない程でした。

お忙しい中お時間を頂き、大変有難うございました。

                                                      小坂孝樹
関連リンク

シカゴ大学ホーム・ページ http://www.uchicago.edu/
シカゴ大学東アジア図書館ホーム・ページ  http://www.lib.uchicago.edu/e/easia/
シカゴ大学東アジア言語・文明研究学科ホーム・ページ  http://ealc.uchicago.edu/
シカゴ大学東アジア研究センターホーム・ページ  http://ceas.uchicago.edu/


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