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 アメリカで輝いている人 VOL.24
 菊田 俊介 さん (MR.. SHUN KIKUTA) 
 
ブルースギタリスト
 Blues Guitarist

アメリカで活躍されている方々にインタビューをし、その人の活躍の場、内容、素顔を通じよりアメリカを知っていこうと企画された“Brilliant People” 輝いている人!

第24回目に登場いただくのはブルース・ギタリストの菊田俊介さんです。
菊田さんは“ブルースの女王”ココ・テイラーの専属ギタリストとして活躍。PBS系テレビ番組『An evening with BBKing』のバンドリーダーに抜擢されBBキングと共演したり、第22回シカゴ・ブルース・フェスティバルで3万人以上の大観衆の見守る中メイン・ステージのトリで演奏するなど世界を舞台に活躍中。

−経歴−

1966年 9月8日 栃木県宇都宮市生まれ
1986年 ボストンのバークリー音楽大学留学
1990年 同校卒業。1週間後ボストンより車でシカゴに移住。ストリート・ミュージシャンに
      その後、毎週日曜に<ローザズ>でルイス・マイヤーズとプレー
1991年 日本のBGWレーベルから発売された「シカゴ・ブルース・ナイト」に参加
1994年 シカゴで行われたワールドカップ・サッカー決勝トーナメント、ドイツ対ベルギー戦の試合後に演奏
1998年 第15回シカゴ・ブルース・フェスティバルに出演
2000年 ブルースの女王 ココ・テイラーのバンド、ブルース・マシーンのパーマネント・メンバーに抜擢
2001年 ニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテッジ・フェスティバルなど全米の主要フェスティバルに出演
      BBキングズ・ブルース・クラブ(ニューヨーク)、ハウス・オブ・ブルース(ニューオーリンズ、シカゴ)など
      のメジャー・クラブに出演
2002年 第19回シカゴ・ブルース・フェスティバルのメイン・ステージ、ペトリロ・ミュージック・シェルに出演
2003年 PBS系テレビ番組 『An evening with BBKing』 のバンドリーダーに抜擢され BBキングと共演
2004年 シカゴ最大のフェスティバル 『テイスト・オブ・シカゴ』 に自己のバンド "Shun" で出演
2005年 第22回シカゴ・ブルース・フェスティバル メイン・ステージのヘッド・ライナーとしてココ・テイラーと出演

菊田さんは色々なメディアにインタビューされていますので、ちょっと違った角度からメディアではあまり紹介されていないようなお話しをお聞かせください。 まず菊田さんはスポーツ少年だった聞いていますが。

親父がスポーツマンだった事もあって、野球は小学校の3年生だったかな..それくらいから始めました。中学では県大会で準優勝した事もあり強かったんですよ。でも高校が進学校だったのでメンバーがやっと揃うかどうかというくらいで、あまり強くなかったですね。唯一強かったのがラグビー部だったので高校1年の時はラグビー部に入りました。1年生ながら山梨の甲府まで連れて行ってもらったりと結構目を掛けてもらいましたね。

それ程野球が強かったのに何故スポーツの道を選ばなかったのですか?

中学の時はピッチャーをやっていたのですが、肩を壊してしまって。宇都宮には作新や宇都宮学園など甲子園の常連校も多く、そういった学校からの誘いもありました。宇都宮南の監督も近くに住んでいたので 「菊田うちに来い」 なんて言ってくれたのですが、野球への情熱がなくなっていたんですね。それで高校ではラグビー部に入部したんです。

でもラグビーやってるとグランドから硬式の
カンカンという音が響いてきて、野球への情熱が蘇えってきちゃったんです。1年の終わり頃監督にラグビーを辞めて野球部に行きたいと告げたんですが、ラグビーやってれば関東大会や全国大会に行けるぞ。野球だったら甲子園には絶対にいけないんだぞって説得されました。でもどうしても野球がやりたくて野球部に編入しました。

スポーツ少年だった菊田さんが何故音楽の道に進まれたか教えて頂けますか?

野球は肩を壊した事もありますが、体も小さかったですしね。プロでは厳しかったでしょう。
親父はスポーツマンでもありましたが多趣味で音楽も好きでした。クラシックギターやアコーディオン、オルガンなんかも家にありました。クラシック音楽のレコードも沢山ありましたから子供の頃から音楽に触れる時間は多かったんです。

小学校3・4年生の時に親父にドレミファだけ教えてもらってクラシックギターの練習をしてました。禁じられた遊びとかね。中学に入った頃 丁度オフコースや松山千春、かぐや姫などフォーク系が人気あり、フォークに入って行きました。文化祭ではフォーク・ディオを組んで 「チャゲ&飛鳥」 などを自分で歌ったりしてうけてましたね(笑)

その後いわゆるフュージョン。80年代に流行りましたよね。カシオペアとか高中正義とか、日本以外だとラリー・カールトンやリー・リトナー なんかがいました。

中学2年の時にお小遣いを貯めてギターを買いました。今でも覚えてますよ2月14日。バレンタインデーですね。生まれて初めてエレキギターを買いました。

その頃から音楽の道に進もうと思っていたのですか?


そーですね。将来は音楽の世界に入ろうと思ってましたね。高校に入った頃はロックにはまりました。バンヘイレンとかディプパープル、ツェペリンとかですね。矢沢永吉の成り上がりとか読んで衝撃を受けたりもしました(笑) 高校時代は勉強もせずに野球とギター、音楽に明け暮れていたわけです(笑)

それでバークリーに留学?

高校3年の時進路指導の先生にこのままでは大学に行けないと言われて、その時はじめて自分はミュージシャンになりたいと相談したんです。

忘れもしない黒子先生です。黒子先生は頭が柔らかくて立派な先生でした。僕が高校を卒業したら東京に出てバイトでもしてデビューするまで頑張ると言ったら否定もせずに、何の音楽をやりたいんだと聞いてこられました。ロックをやりたいと言うとアメリカのロックかと言われるので、イギリスも盛んだけど、僕のやりたいのはアメリカのロックですと答えたんです。そうしたらアメリカへ行って本場の空気を味わいながら音楽を本格的に勉強したらどうだとアドバイスをしてくれました。

自分では今までそんな事を考えもしなかったですから、アメリカかぁ〜という感じでした。この事を親に話すと母親は猛反対でした。親父は音楽が好きだったし、大学へも行かせてくれるつもりだったので 「お前の人生だから好きなようにやれ」 と言ってくれました。お袋を説得してくれたのは親父なんです。

何故ボストンのバークリー音楽大学を選んだんですか?

アメリカで音楽を学べる所を調べたらLAに MUSICAL INSUTITUTE (MI) という所もあったんですが、全部1年か2年なんです。バークリーはあの渡辺貞夫さん等も行っていた優秀な学校で4年生だったので、ここで学ぼうと思ったんです。

高校を卒業した1年間は東京の武蔵野音楽学院で基礎を学びながら留学の準備をしました。そして1986年5月25日(アメリカ着は26日)にボストンに旅立ったんです。

バークリー音楽大学での生活は如何でしたか?

いろんな意味で良い部分、悪い部分を体験しました。世界中から優秀なミュージシャンが集まって来ますから、自分の国ではトッププレヤーやプロのミュージシャンとして有名な人だったり、アメリカで成功しようという人がいれば初心者もいる。ピンキリですね。自分はプロでの経験がなかったですから実力としては下の方だった。

周りを見て刺激を受けたり、同時にコンプレックスを感じたり、何か頑張らないとと思っていました。良い環境でもあったけど、レベルの高い学校に入ったというプレッシャーもかなりありました。BBキングを聞いてブルースに目覚めたのもこの頃ですね。

大学を卒業した後 現在に至るまでに色々な事があったと思いますが?

ラッキーな事がいっぱいありました。90年8月に卒業して1週間後には車に荷物を積んでシカゴに来たんですが、ビザの問題がまずラッキーでした。アメリカで生活するとビザの事が必ず問題になりますよね。バークリーからもらっていたプラクティカルが切れてしまうので、しかたなくトルーマンカレッジで I-20 をもらい学生ビザに戻して学生になったんです。でもお金も掛かるし、日本に帰らないといけないかなぁと不安になっている時にグリーンカードが当たったんです。結婚していたので妻のジャーナリストビザで滞在するという手もないわけではなかったですが、あれがなかったらどうなっていたか分からないですね。

色々な方々との出会いもありましたよね

ココ・テイラーに声を掛けられたのがシカゴに来て丁度10年目の2000年10月。運命的というか91年に山下洋輔さんがシカゴ・ジャズフェスティバルでソロ出演された時があります。終わった時にお会いするチャンスがあってサウスのソウルフードを食べにご一緒したんです。その時「君10年頑張ってみな。10年やってそれでも頑張り続ける事が出来たら、それはあなたにとって必然だから」と言われたんです。そして10年目にココに声を掛けてもらった..

自分でもそうかもしれないけど、周りのミュージシャンの見る目も変わってきましたね。楽しみながらずっーと演奏してこれた。趣味でもあり仕事でもある、音楽以外は他に趣味がないですからね。趣味と実益を兼ねたっていうんでしょうかね(笑)

今ではそのココ・テイラーにギターを教えてるんですものね

いやぁ〜 これはココの方が凄いんですよ。いまだにギターを上手くなりたいと思う気持ちが凄いです。ココも病気をしてからツアーもあまり長くしなくなったし、僕としてはヨーロッパ全部回るようなツアーやりたいなぁなんて思ってますけどね(笑) あまり無理してはいけませんから。

多くの人との出会いの中でやはり印象的なのはBBキングですか?

ココにもとても感謝しているけど、BBキングにも感謝しています。BBキングと初めて一緒に演奏した時の感動は忘れませんね。スペシャルな存在の人です。

92年にイタリアのサルデニア島でのロッシー・ロッシ・ブルースフェスティバルの時に前座をやらせてもらい、初めてBBをステージの袖で見ました。凄い綺麗な海岸沿いに 5 〜 6,000 人かなぁ もっといたなぁ とにかくもの凄い人。音楽やってて最も感動した瞬間でしたね。


ブルースをやっていると黒人の人達との交流が多くなると思いますが?

そうですね。黒人の連中とウマが合うというか。でも本当に突き詰めていくと自分とは考え方が違うところがあると思いますよ。やっぱり育った環境や感性が違いますからね。

最近はそうでもないけど、シカゴに来てから2〜3年の頃 いろんな仕事をしてくると自分達黒人が仕事がないのに何で日本人が仕事してるんだみたいな嫉妬や僻みみたいなものがあって、嫌がらせをされた事もあります。

危険な目にあったりしたのですか?

直接的な暴力などを受けたことはないです。その点でも怖い思いとかしていないですからラッキーといえばそうですね。やっぱりアメリカですから黒人という事だけではなく、危険な目に遭う可能性はありますからね。

僕が受けた嫌がらせっていうのは、例えばプレーが終わった後にメンバー全員に挨拶しに来てるのに僕だけ無視されるとかね。バンドなんかにしても実力が同じだったら黒人の方が先にハイヤーされるとか。

日本人である事で何か特別に感じる事はありますか?

やっぱりミュージックの世界でもイニシアティブを握っているのは白人ですから。ブルースの中でもミュージシャンは黒人、次に偉いのは白人っていうランク付けをする人がいますよね。ブルースの中で日本人というのはその点では厳しいです。

自分に自信がないと肌の色で差別する人がいますからね。レイシズムじゃないけど、ファナティックの人から差別を受けますよね。これはあくまでダークサイドであって、逆にブルースの中に日本人がいると言ってプレイを誉めてくれる人もいます。東洋人であろうが何であろうが実力があれば評価してくれる人もいます。

ココ・テイラーもその一人ですね

ココも自分を必要としてくれた一人です。どこかで守られていたんでしょうね。回りに救われてきました。自分を必要としてくれたミュージシャンが何時もいたんです。だから仕事に完全にあぶれた事が今まで一度もないんです。あぶれても他に回されたり。

ご自身のバンド “SHUN” について教えてください

ココとの活動が少なくなってきた事もあるし、自分のバンドでもやっています。メンバーはドラムのマーク・マック、ベースのチャールズ・マックのマック兄弟。時々キーボードも入ります。ジェラルド・マクレンドンがゲストシンガーに入ります。

ドラムのマークはリットー・ミュージックから教則本を出して注目されています。チャールズもCDを出したりしてますね。15年やってると横のつながりも出来て、電話1本で皆来てくれますからね、嬉しいですよ。

ブルースを目指して頑張っている方々は多いと思いますが、菊田さんのようにBBキングと共演したり、ココとブルースフェスティバルに出演したりと成功されている方と途中で挫折して消えてしまう方といらっしゃいますよね。
皆さんにお聞きしているのですが成功の秘訣は?


先程も言いましたけどラッキーだったんです。回りに支えてくれる良いミュージシャン仲間もいたし、ファミリーがいたことも支えになりました。僕自身は音楽を楽しんでやれている。辛いとか嫌な経験があっても挫折した経験がないんです。追い詰められても好きな気持ちを持ち続ける事が出来る。

本人がどれだけエキサイトして音楽に入り込んでいるか、楽しんでいるかが大事ですね。本当に好きな気持ち、楽しんでいる気持ちは音に出ますから、聞いている人にも、一緒にやっているミュージシャンにも伝わります。

デモテープがある訳ではないので、自分を売り込む為には一緒にプレイして コイツ威勢がいいなとか何か印象付けるものがないと駄目です。キーになるのは本当にエキサイトして楽しんでいるかですね。ココも一緒に演奏するのを楽しんでくれているみたいです。

BBキングについての印象も教えてください

BBキングは人間として別格です。今年公開された日活のライトニング・イン・ア・ボトル(LIGHTNING IN A BOTTLE)
でBBにインタビューもしました。これは2003年にニューヨークのラジオシティ・ミュージックホールで一晩だけ開催された“サルート・トゥ・ザ・ブルース”という伝説のコンサートを収めた音楽ドキュメンタリー映画なんですが、ブルース生誕100年を記念してBBキングやバディ・ガイなどの凄いミュージシャンが集まったブルースの歴史が詰まったような素晴らしいものです。

TV筑紫哲哉のニュース23の番組でワシントンから来たという人がBBにインタビューした時に「奴隷制についてどう思うか?」なんて質問してて、随分凄いこと聞くなぁと驚いていたけどBBは奴隷制があった事は事実だし、それは悪い事だと思うけど、奴隷制があった事によって何かポジティブな事があったんじゃないかと考えたい。自分を探して世界中を回った。自分は黒人だけど世界中で色々な人に支えられた。考え方がグローバルになった。どの人種だろうと人間生きている限り黒人でも白人でも誰でもブルースを感じる事が出来るんだよ。って応えてた。

何しろBBは僕がブルースに入るきっかけを作ってくれた人だし、神様みたいな存在だったから一緒に共演した時なんかはかなり興奮しましたね。音楽人生の中で最高の時でしたね。

BBと共演した後に「君はとてもいいギタリストだね。LIGHT(肌の色の薄い)BBキングだ」と言われたんですよね?

ええ(笑) かなわないと思った夢が現実になった瞬間ですからね。あれはすぐ近くにBBがいると思ったら自然に自分の中に流れているものが出ちゃう。BBの音に勝手になっちゃうというか.. シチュエーションによりますよね。あの日は全てがBBの日でしたね。

今後の目標について教えてください

自分は日本人だから自分自身を突き詰めていきたい。気持ち良い音で弾きたいですね。黒人になりたいとか真似るとかではなく自分自身になりたい。自分の音、音楽が創れて初めてBBと同じ土俵に立てると思うんです。これが一番の目標ですね。

彼らを追いかけているうちは常に下ですよね。絶対に追い越せない。日本人は器用ですしコピーも上手ですが、コピーをしても同じにはなれない。コピーを抜け出して自分の音楽にしていくのが芸術家としての究極の目標なんでしょうね。


ブルースフェスティバルのメイン・ステージのヘッド・ライナーとしてココ・テイラーと出演もされてますね

シカゴに来た時の一つの目標でしたから感慨深いものがありました。でも自分としてはもっと早く達成出来ると思っていたんですけどね。ココ自身がブルースフェスティバルに出るのが5年ぶりなんです。毎年春にスケジュールが配られるんですが、見る度にあぁ今年もブルースフェスティバル入ってない..ってがっかりするんです(笑)

ついているエージェントやマネージメントによっても変わりますしね。ブルースのランクがありますし予算もありますから、今年は誰々を
呼んだからココは予算オーバーで呼べないとかね。やっぱり一流の人ばかり集めるわけにはいきませんよね。 

一流のミュージシャンとそうでない人の違いって何なんですか?

やっぱり自分の声、スタイルを持っているかどうかでしょうね。お客さんにもその点はすぐ分かりますよね。それとヒット曲があるかないか。ココはワンダン・ドゥドールなんてヒットソングがありますし、BBはもう凄い数のヒットが沢山ありますね。

最後にブルースの楽しみ方について教えて頂けますか

日本人にとってブルースってちょっと暗い、ジメっとしたイメージがあるように思います。実際ブルースのライブを聴くとノリが良くてパワフルで楽しいですよね。だから先入観などを持たずにそのままを楽しむと良いと思います。ブルースを聴くとたいていの人は楽しめると思いますよ。


本日はご多忙の中、貴重なお話を聞かせて頂きまして有難うございました。

インタビュー後記

今回もブルースという世界で頑張っている人、魅力的な人にお話しをお伺いする事が出来ました。
ライブ前のお忙しい中ご無理を言ってインタビューをお願いしたにもかかわらず快くお引受け頂き、終始にこやかにお応え頂きました。菊田さんの優しい人柄が良く伝わりました。

冒頭にも述べましたが菊田さんは色々なメディアに登場されているので今回はより素顔に近い部分のお話しを聞かせて頂ければと思い違った角度で質問をさせていただきました。シカゴに来て色々なご苦労もあった事と思いますが、ブルースが好き、音楽が好きという信念がはっきりしている。そしてそれを楽しむ事が出来る人だということが分かります。

アメリカに初めて来られた時の事やエレキギターを買った時の事など懐かしそうに語っている様子やココ・テイラーやBBキングとの話しをする時など本当に音楽が好き、人が好きなんだぁと思います。

ラッキーだった、人や家族に支えられたと繰り返し言われていたのが印象的です。菊田さんの人を大切にする気持ちや態度が周囲の人を惹きつけてラッキーを呼び込むのだろうと思います。

シカゴ・ブルースフェスティバルのメインステージでココテイラーと演奏する、ブルース界の神様BBキングと共演するという事は凄い事です。日本人が黒人音楽であるブルースの世界で認められている。頑張ってこられた努力が実を結んだ瞬間は本当に最高の瞬間だったのだろうと、その喜びも伝わってきます。

シカゴ郊外の日本人にもブルースを聴いてもらおうとペニーレーン・クラブでライブを開催したり、日本人だけではなかなか体験出来ないような黒人の家庭料理を味わったり、シカゴサウスサイドのブルースクラブを訪ねるツアーを企画したりと日本人とブルースとの接点を作っていってくれています。私も菊田さんのブルースを満喫させて頂きました。これからも益々のご活躍を楽しみにし、応援しております。


お忙しい中お時間を頂き、大変有難うございました。

                                                      小坂孝樹
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菊田俊介 公式ホームページ http://shunkikuta.com/

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