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 アメリカで輝いている人 VOL.19
 嘉門 達夫 さん (MR. TATSUO KAMON) 
 
シンガーソングライター
 
 

アメリカで活躍されている方々にインタビューをし、その人の活躍の場、内容、素顔を通じよりアメリカを知っていこうと企画された“Brilliant People” 輝いている人!

第19回目に登場いただくのはシンガーソングライターの 嘉門達夫さんです。嘉門さんは大阪出身で現在東京にお住まいですが、1月9日のJCCC(シカゴ日本商工会議所)新年会にてゲストとしてシカゴにお越しの際にインタビューさせて頂きました。

−経歴−

1959年 大阪府茨木市生まれ  A型  本名:鳥飼達夫(トリカイ タツオ)
1975年 高校在学中に笑福亭鶴光師匠に入門。のちに内弟子になり笑光となる
1980年 破門!!放浪の旅へ……    
1981年 サザンオールスターズの桑田佳祐氏と出会う。    
      彼の別名“嘉門雄三”から姓を受け、嘉門達夫と命名。ライブ活動を始める   
      MBSヤングタウンにレギュラー出演
1983年 「ヤンキーの兄ちゃんのうた」でレコードデビュー!!    
      YTV全日本有線放送大賞新人賞受賞。TBS日本有線大賞新人賞受賞
1984年 「ゆけ!ゆけ!川口浩!!」リリース  
1985年 放送演芸大賞ホープ賞受賞
1987年 フジテレビ「笑っていいとも!」レギュラー出演
1989年 代官山プロダクションに移籍。 ビクターレコードへ移籍    
      初の全国ライブツアー“KAMON TATSUO JAPAN TOUR’89 
1992年 
NHK“紅白歌合戦”出場 
1992年 「替え唄メドレー」「鼻から牛乳」「天賦の才能」などシングル・アルバムを毎年3〜11枚リリース
 〜   その傍ら全国ツアーを開催
2002年 福武書店・進研ゼミ「中学講座」CFなど多数出演
2003年 20周年記念シングル「明るい未来〜シングルバージョン〜」、アルバム「達人伝説」を発売
      池袋サンシャインアルパB1噴水広場にて、ゲストに明石家さんまさん、ガッツ石松さんが駆け付けての
      リリースイベントを行ない、テレビカメラ、取材カメラの数は過去最高となる
2005年 
ニューヨーク アポロシアター アマチュアナイトで海外初デビュー
      JCCC(シカゴ日本商工会議所)の新年会にゲスト出演


デビューするきっかけは?

僕は子供の頃からラジオの深夜放送を聴きながら育ちましたから、いつかは自分がラジオでしゃべる人になりたいと思っていました。でも当時はそれになるための入口がなかったんですね。だから16歳の時 ラジオの深夜放送で人気だった笑福亭鶴光師匠の門をたたき、弟子にしてもらったわけです。

何のツテもないですから局の楽屋口で師匠の出てくるのを待って直訴。まだ高校生だったので卒業までは通い、それから内弟子にしてもらう事になり、笑福亭笑光となりました。でも5年目に破門になっちゃいましたけど(笑)

どうして破門になったのですか?

やはり落語家の弟子になった訳ですから、落語をやれといわれます。でも自分がやりたかった事とちょっと違う。落語で語るんじゃなく、今の世間でおこっている事を歌にしてやりたいと自我が出てしまったんですね。それにやはり落語の世界は師弟関係も厳しいですし、「弟子にしてくれるんだったら何でもやります」言うて入門したのに、途中からなんも言う事聞かなくなったら破門にもなりますわな。

その後しばらく放浪の旅に出るんですよね

16歳から内弟子の生活で落語の世界以外は知りませんでしたから、鶴瓶さんの助言もあり世の中を見てみようと。破門されてやることもないし、秋から冬への能登半島で冷たい風に打たれて自分を客観的に見てみようと旅に出ました。破門される前は師匠のお陰で憧れのラジオ番組にレギュラー出演も出来たのですが、それが外の世界に興味を持つきっかけとなってしまったんですね。

放浪生活で感じた事は?

能登半島から佐渡島へ渡り見知らぬ土地で悲しみにうちひしがれながら、色々と考えました。「ヤングタウン」で一緒に番組をやらせてもらっていたあのねのねの原田伸郎さんを頼って一旦東京に戻りました。そこで清水國明さんが「泊まるところ、あるんか?」 と聞いてくれたことから、清水さんの自宅に居候する事となり色々と教えてもらいました。あのねのねのライブのゲスト出演もさせてもらい、そこで人前で何かを表現するということの快感が「これや僕の求めているもんは」と体感したんです。

その思いを胸に再び旅に出ました。清水さんが「また戻って来いよ」と言ってくれたのは今でも忘れません。番組で迷惑をかけたのに、原田さんも清水さんも餞別までくれて..有難かったですね。 その後北海道をヒッチハイクで回ったり、志賀高原でスキー場のアルバイトをしたり、ヨロン島でアクセサリー売ったり色々しましたね。

落語の世界は大人の世界ですから、そこで育ったせいもありスキー場やヨロンに遊びに来る同世代の若者に会っても完全には同化出来ない。同世代と遊べて嬉しい反面、どこか冷めてるっていうか彼らを客観的に見てしまう。ネタとして見ちゃうんです。そういう傾向は子供の頃からありましたけどね。学校の先生の揚げ足をとっては皆を笑わせたりとか。

そんなアルバイト生活の中で曲を創り、お客を笑わせたりライブハウスで
歌ったりしながら歌手になる決意をしたんですね。


破門から1年、放浪生活をしている時にバイト先で落語家だったという事がいつの間にか噂となって、それなら何か面白い事をやれとなります。そこでオリジナルの曲を創ってはお客を笑わしてました。東京から来た女の子達の台詞にツッコミを入れて歌うという今の原型となるもんですわ。オリジナル曲を何曲か創ってテープに録音したものをアミューズの会長が聞いてくれたのがきっかけでデビューしました。

その後どうなったのですか?

20代の頃は無我夢中でした。横も見ないで前だけ見てた。破門されて可哀想といった同情もあったと思いますが、頑張って活動していたら皆の応援もあり、いつも間にか番組のレギュラーをかかえるようになって、29歳で14本、東京−大阪−名古屋を往復する売れっ子になってました。

売れっ子になるのは嬉しかったですよ。自分がちょっと偉くなったような気もして。でもそれがしたかった事じゃないんじゃないか? と疑問に思うようにもなりました。売れっ子にはなったものの自分の地位を確立出来ず不安定で揺れていた時期でもありますね。 30歳で事務所とレコード会社が変わり、プロダクションは今までの行き当たりばったりではない、戦略的な動きをするようになりました。

デビュー以来20年ともなると色々とありすね


そうですね。今回もそうなんですけど、アポロでのアマチュアナイトが終わって表に出たらニューヨークに住んでいるファンの人達が待っててくれたりとかね。曲がりなりにも20年やってると、どこかで僕の歌にはまってくれてる人がいるんやなぁ〜。嬉しいですね。10年だとちょっと短い。20年やって初めてそんな実感が湧きました。

破門になった時もなんや知らんけど 「何とかなる」っていう不確かな自信がありました。小学生の時担任の先生が「念願は人格を決定す。継続は力なり」と言ったんですが、30を過ぎてからやっとその意味が分かってきました。

人生の中で影響を受けた人達、忘れられない思い出は?

そやね。弟子入りして破門された事も自分にとっては良い経験やったね。鼻から牛乳もそうやけど、カミ・シモで話しが纏まってる。そういった落語の基本を勉強させてもろうて今に生きてる。今でも鶴光師匠には感謝してますよ。

それとラジオの番組を降ろされて迷惑をかけたのに親切にしてくれたあのねのねの清水さん、原田さん。
上岡竜太郎さんにも仕事上でもかなり影響を受けてます。美輪明宏さんにも可愛がってもらいました。

嘉門達夫の名付け親の桑田佳祐さんや勘九郎さん、さんまさんが自分の前を走ってくれてる。ほんま、この3人が背中を見せてくれて僕の先をずっと走ってくれてる。大変励みになります。色々な出会い、機会を大切にしたいですね。

ネタはどこから?

もともと疑り深い性格なんでしょうね。見たもの、聞いたものを 「ホンマかぁ〜」と疑ってみる。日常生活の中でそんな事がゴロゴロ転がってますから。色々な奴と話して 「そんなんあったあった」とか「お前もそうなんかぁ〜」みたいなもんを歌にしてます。

NYアポロシアターアマチュアナイトアポロ劇場でのアメリカ初公演は如何でした?

凄い緊張感ですわ。エンターテイメントの本場でバンドをバックに歌えたら最高ですよね。出場者もそこでチャンスを得ようと命がけですから。素晴らしい伝統のある劇場で1回はそれに触れてみたかったですからね。 事前に裏舞台でアポロの太ったマネージャーに予行演習を兼ねてネタを見てもらったんですが、3つ目のネタは下ネタ過ぎて神聖なるアポロではやっちゃ駄目といわれてカット。

どんなネタで勝負したんですか?

ラストサムライを意識して最初は浪人風の衣装で「I am the last samurai form Osaka」と言って登場。パントマイムで蝿が飛んでくるが刀で切れない。最後は箸でつまんで食べちゃう。そしたらお腹が痛くなったので切腹。赤い布がパッと出る。っていうパフォーマンスから入ったんですけどね、大ブーイング(笑) 自分の唄を唄う前に退場させられちゃいました(笑)

アポロでの第一回目の挑戦は惨敗!?

でも凄く興奮する体験でした。英語も勉強したのでアポロでネタを披露したかったんやけどね。もともとアコースティックギターとアポロ、コメディとアポロは水と油。アポロで認められたらいいんか言われたら、それもちょっと偏ったもので違うかなとも思うんやけど、やってみんと分からんしね。ちょっと無理があったのに、よう2分間も我慢してくれました。数秒で退場させられちゃう奴もおるのにね。次チャレンジする時はソウルミュージックのパロディーかな。

話し変わりますが今から10年前の1月17日丁度阪神・淡路大震災に遭遇してますよね

びっくりしましたよ。いきなり凄い揺れで。ホテルオークラの27階にいたんやけど、TVは落ちるし、エレベータは停まるし。情報はラジオのみでしたね。非常口から出て、どうしてもその日移動せなあかんかったから淡路島と神戸の間を通っている船があるんですけど、それに乗って移動しました。その船の中で初めて惨事を知ったんです。

その時の行政の対応の遅れとか、その場の悪意のないリアルな事を歌にして、泉谷しげるさんと神戸でチャリティやりました。「水が出ないと知っていて蛇口をひねる、あ〜小市民」とかね。

「美味すぎ!ニッポン旅ガラス」 嘉門さんの美食ワールドの本についてもお聞かせください

ツアーで結構色々な所にいくんですが、広島でも岡山でも、そこで美味いもんを食べたい。やっぱりお好み焼きやぁ〜って事でお好み焼きを食べに行く。でも半年ぶりにまた行くとまた、食べたくなる。だから毎回行くたびに同じ店にいっちゃう。15年程経ってやっと他の店もあるんやと気付いたんですねぇ。

富山に行けば地元の人が一流の店に連れて行ってくれる。そりゃ一流ですから美味いんですが、もっと地元の人が気軽に行く美味い店があるんじゃないかって。だから地元の美味い店を掘り起すていこうってことで旅で出会った人と味を紹介してます。

理想の女性・結婚観について教えてください


結婚に関しては理想が高いんでしょうね。付き合って少し経つと「こんなはずじゃない」とか「もっと素敵な事があるはず」とか思っちゃうんですね。激しい情熱的な人と盛り上って、おしとやかな女性と付き合う、そんな両方を兼ね備えた女性が理想。人として自立している女性が好きですね。依存されちゃうとしんどくなる。その人がハツラツとして耀ける瞬間は何なのかを知っている人が素敵ですね。

HOT HOUSE での野毛洋子さん、タツ青木さんとのセッションは如何でした?


はじめは「ゆけ!ゆけ!川口浩!!」から歌わしてもろうて、とてもリラックスして出来たし、楽しませてもらいました。アポロで歌えなかった曲も歌わしてもらいました(笑)。ストロベリーで目を覆われてしまったら3曲目は完全にあかんなぁ〜(笑)

成功の秘訣

そやね、振り返ってみるとどこを走ってきたか全く分からない時期もありましたけど、10年以上やってるとそれなりの技術が備わってくる。でも技術だけでは駄目。最後は人間性だと思いますよ。人間が面白かったらやってる事も面白くなる。人間性の深みってもんがないと。表現する人は根底にそういうもんがないといけないちゃいますか

今後の目標は

経済的っていう事じゃなく、精神的な意味で豊かになりたいですね。そして新たな扉を開き続けたい。新たなステージと出会う為に扉を開ける。

4年前からジョギングを始めたんですが、2カ月で14kg落としましたよ。1日4〜6キロは走ってます。ニューヨークのセントラルパークも走りましたよ。その街を走ると街を知る事も出来る。今まで自分の中では運動の扉は一切開けたことがなかったですから、これも新しい扉ですね。

最終的には老人のシンガーソングライターになりたいですね。50,60、70,80歳になっても、その年代のリアルな歌を歌いたいですね。老人の気持ちを歌う。いないじゃないですか、そういう人。

メッセージを

今回シカゴのJCCC(シカゴ日本商工会議所)の新年会に呼ばれて、初めてシカゴに来ましたけど、クリーンな街ですね。とても整備されているし。僕は大阪万博の時に育ってるんで日本の高度成長を知っているというか、栄枯盛衰っていうのか、かつて栄えていた跡がみえる場所が好きですね。シカゴでも黒人街とかそういった感じですよね。

アメリカにいる皆さんは色々な立場の生活を楽しんでください。どうしたらもっと楽しくなるかを考えることが大切だと思います。シカゴの寒さが過酷という事じゃないんですけど、寒いんなら寒さを楽しむ事もいっぱいあると思うし、娯楽がないと嘆くんじゃなくそのフィールドの中で何が出来るかを考える事で生活が豊かになると思います。

本日はご多忙の中、貴重なお話を聞かせて頂きまして有難うございました。

インタビュー後記

今回JCCCの新年会でのゲスト出演の後、お時間を頂きインタビューにお応え頂きました。
替え唄メ ドレー&ライブトークショーは「さっちゃんはね」から始まり、「ハンバーガーショップ」「小市民」「鼻から牛乳」など次から次へとヒット曲のオンパレード。かなり笑わせて頂きました。

途中CMソングは企業イメージアップをはかる企業とそれをいかに崩すかの嘉門さんとの攻防があり、なかなか許可が取れないなど裏話も披露。あっという間の1時間30分でした。

インタビューでも HOT HOUSE での野毛洋子さん、タツ青木さんとのセッションでも嘉門さんの人柄が垣間見え、楽しい一時でした。ご自分でもおっしゃっていましたが、気分は思春期のまま。純粋な方だと分かります。HOT HOUSE では違ったジャンルの音楽と一緒にプレイする緊張感も含め、とても楽しんでいらっしゃる事が分かりました。アポロシアターでもそうだったのだろうと想像がつきます。歌が好き、人に喜んでもらう事が好き、小学校の時に人を笑わせる喜びに目覚め、その気持ちのまま今も歌い、人に喜んでもらう。

将来の夢は老人のシンガーソングライター。老人の気持ちを歌にしたい。素敵な夢です。成功の秘訣はと尋ねて、技術ではなく人間性と言われた嘉門さんに本当に人としての魅力を感じます。人間としての深みがないと表現するものに魅力がなくなる。人間の深みを蓄積していく為には色々な経験が必要。やってみないと分からない。その為に新しい扉を開き続ける。

私も嘉門さんの20年間の活動の中のどこかではまってしまった昔からファンだったのですが、今回お会いして益々その魅力にはまってしまいました。

ご多忙中お時間を頂き、とても楽しいお話をお聞かせ頂き大変有難うございました。

                                                            小坂孝樹
関連リンク

嘉門達夫公式ホームページ   http://www.daipro-x.co.jp/kamon/

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