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 アメリカで輝いている人 VOL.14
 荻野 敏雄 さん (MR.TOSHIO OGINO)
 ワールドカップ マスターズ スラローム 銀メダリスト 
 
アメリカで活躍されている方々にインタビューをし、その人の活躍の場、内容、素顔を通じよりアメリカを知っていこうと企画された“Brilliant People” 輝いている人!

第14
回目に登場いただくのはスラローム 銀メダリスト 荻野 敏雄さんです。
荻野さんは明治大学在籍中には体育会スキー部に所属し、オリンピック代表やユニバーシアード代表選手達と競っていました。会社経営の忙しさの中、暫く競技スキーと離れていましたが、4年前に再開。2年前62歳の時にはワールドカップ マスターズ スラローム 銀メダリストとなっています。

−経歴−

1940年 新潟県生まれ
1961年 明治大学 法学部卒業
     学生時代は体育会スキー部に所属。オリンピック選手達と競う     
1966年 就職先であるセラミックコンデンサ 部品メーカーの駐在員事務所をシカゴに設立
1969年 会社を退社し奥様とシカゴに  
1974年 メタルファブリケーションの会社 EXTON を設立
2000年 競技スキーを再開
2002年 ワールドカップ マスターズ スラローム 銀メダル受賞

企業家として幾つもの会社を起業する中、62歳にしてコロラドで開催されたワールドカップ マスターズ スラロームで銀メダルを受賞。中西部では敵なし。


荻野さんがスキーをはじめたきっかけは何ですか?

私は新潟県の赤倉温泉で生まれました。雪国ですから学校へいくのもスキーを履いていく
ような所です。ですから自然とスキーには慣れ親しんでいました。競技スキーをはじめたのは子供の頃からです。

学生時代にも随分ご活躍だったのですよね

明治大学時代は頑張ってやりましたね。当時 “陸の王者慶応” に対して “冬の王者明治” と言われた程ですから、スキーやスケートのオリンピック選手を数多く輩出していました。今でもオリンピック選手は明治出身の方が多いんですよ。

当時の合宿所のベットはオリンピック選手だらけでした。私はオリンピックには行けなかったんですけどね(笑) いい所までは行くんですが、一番になれないんですね。

その後もずっとスキーをやられていたんですか?

仕事が忙しくなってしまって暫く止めていました。アメリカに来た頃から再開しました。ミッドウエストにはオーストリア、ドイツ、ノルウエーなど本国でスキーをやっていた人達が沢山います。勿論オリンピック選手クラスの人達が多くいます。その中でも1〜3位の常連にはなっていました。

その後またビジネスの方が忙しくなってしまい25年程ぴたっとスキーから遠ざかっていました。4年程前からまたトレーニングをはじめましたが、さすがに25年間のブランクを取り戻すには時間がかかりましたね。

25年間のブランクを克服するのは大変だったんじゃないですか?

大変でした。30年も前の靴、スキー、服ですからね。博物館にでも持っていけと皆に笑われました(笑)。新しいテクニックがついてまわるスポーツですから、カービングスキーなど昔と全然違うので戸惑いました。アイグラスもスキーも全く違う。

テクニックの方は昔からやっていましたから何とか取り戻せましたが、体力を戻すには時間がかかりました。他の選手達は大工やトラックの運転手などの職に就いていて自然と足腰が鍛えられているから強いんですが、ビジネスマンや医者などの職業につくとなかなか厳しい。私は週1回テニスしかやっていなかったですから、朝 6:30 からトレーナーについてトレーニングをして、ようやく少し力がついてきました。

先日ミツワのヤードセールのお手伝いをしましたが、力では誰にも負けませんでしたよ(笑) 柔道の先生の吉永さんも力強かったですね。

2002年のシリーズで銀メダルを受賞されたのですよ

はい。インターナショナル マスターレースです。フランス、ドイツ、ノルウエー、ニュージーランドなど世界の強豪達が集い、コロラドで開催されました。やはり元オリンピック選手などがゾロゾロいますから厳しい戦いでしたが、その時は2位のシルバーメダルを頂きました。


ビジネスの世界でも大変なご活躍ですよね

もう今は半分リタイヤしたようなものです。現在は鯉を入れる池を作ったり、釣りをしたり彫刻や焼き物作ったりしていますよ(笑)。

それでは起業当時のお話しなどを聞かせて頂けますか?

そーですね、66年にセラミックコンデンサーの会社の駐在としてシカゴに駐在所を立上げに来ました。その後会社を退社して脱日本。妻と一緒にシカゴに戻ってきました。スキー仲間に誘われてオヘアメタルという会社にお世話になったのですが72年にチームスターのトラックがストを起こして会社の経営に影響が出てしまった。74年にEXTONというメタルファブリケーションの会社を設立したのがはじめての起業です。

この会社はオヘア空港の看板やCTAのゲート、ステンレスの回転盤(空港などで荷物が運び出されてくる)などを製作しています。空港としてはワシントン、ロンドン、メルボルン、大連、香港など世界中に展開しています。キュービックとの提携でマグネットカードなどの製作に携わりトールウエーなど240レーンの仕事もしています。

私は55歳定年の目標を持っていましたから今は会社を売却しましたが120 million 程の会社になっています。

やはり色々なご苦労があったと思いますが

色々ありましたよ。カーター大統領時代の後半はインフレが進み、銀行の利子が15% 〜 25% にまでなりました。設備産業ですから業績が伸びるに伴い工場も大きくし、人も増える。ですから利子がかなり大きな負担となりました。その後の80年から85年のデフレも厳しかったですね。かなりの不景気でした。

お陰様で回りにいた優秀な人達のお陰で危険を回避してこれましたし、仕事がなくなってしまう事はなかったですが、庭には10本の縄をブラ下げてどの縄で首を吊ろうか毎日考えていました。翌日には息子達がその縄にタイヤをつけて遊んでいるんです。親と子では目的が違う。親の気持ち子知らずですね(笑)

ストレスも相当なものだったのでは?

会社経営は例えて言うなら毎日競馬場にいるようなもの。常に決断に迫られていますから若い頃からプレッシャーもストレスもかなりありました。泣き言も言えないし、ロンリーですね。ノースキャロライナやハンティントンビーチの工場に行ったりして1ヶ月に10日しか家にいない生活です。食事も不規則、疲れるから酒を飲む。こんな生活をしていましたから50歳で心筋梗塞で入院。54歳には糖尿病で目が見えなくなりました。これでは社員や家族に迷惑がかかると思い仕事を辞めたら病気もピタッと治った(笑)

ストレス発散はどのようにしたのですか

やはり生きるって事はストレスがつきものです。いかにストレスを処理するかによって人生が変わりますね。私は飛行機に乗ることによってストレスを発散していました。空から地上を見ると人間がアリのように見える。蟻穴を蹴るとパッと逃げるでしょ。人間の社会も同じです。違った観点からものを見るとまた面白いんですよ。

また、50, 80, 100 mile など範囲を決めて空から大きな屋根の所をチェックしていく。そして地上に戻ってから場所を確認して新規のセールスに出掛けるんです。シカゴのセールスマン達は近辺は行きますが、遠くにはいかないので注文をいろいろ貰いました。

最近では庭に自分で作った池の鯉を眺めています。池も鯉も庭園と同じようにワイングラスを持って2〜3時間ぼおっと観賞していると2〜3分くらいしか時間が流れていないような感覚になってリラックス出来ます。

飛行機をぶつけたとお聞きしましたが、危険な事も随分体験されたのでしょうか?

そうそう、自分の飛行機でお客さんを連れてプレイボーイクラブのゴルフ場に行った時にね。飛行機は離陸と着陸の時が一番緊張するんですよ。あの時はちょっと油断して着陸の時にバウンドして普通はそれでも態勢をもとに戻せるんですけど、そのまま下に落ちちゃった。後で必死に直しました(笑)

その他、中西部の冬は天気が良いと思っていても突然地面が真っ白になっていて自分の居場所が分からなくなったり、霧やアイスで翼が凍結してしまったりする事があります。オクラホマのミシシッピ-上空を飛んでいた時も一面雲の壁が出来てしまって高度50〜100 フィートの地面スレスレの所を線路をたどって飛行し空港に辿り着いたという事もありました。

池作りは何がきっかけで始められたのですか?

庭の池に金魚を飼っていたんですが3年程ほったらかしにしていました。冬は凍るし、夏はドブのようになっていましたが、ある時屋根の上から覗いているとその金魚が生きていたんですよ。良くサバイバルしたなぁ〜と思って可愛そうになりましてね。横井さんと名付けて立派な池を作ってあげました(笑)

鯉は新潟県の山古志村からわざわざ持ってきます。この村は錦鯉発祥の地とされ、泳ぐ宝石との言われる錦鯉、大正三色や昭和三色、紅白などで有名なんです。

ここから30〜40匹持ち帰っても池の菌があってなかなか上手く育たない。子供は別にしてあげないと食べられてしまったりと結構気を使います。中に親分がいて腹などを撫でてあげると喜んで次から次へとやってきます。常に回遊していますから見ていて飽きない。メディテーション(癒し)ですね。

鯉はアメリカやドイツで市が立つほど隠れたブームになっています。通常鯉の色は10〜15年で色褪せて来るんですが、シカゴの鯉は気候の影響もあり、毎年春には鮮やかになりますよ。 今では家の庭に5個ほどの池があり、頼まれて人の家にも池を作ってさしあげています。

スキーにしてもビジネスにしても何故アメリカを選ばれたのですか?

私は46カ国ほど世界を回りました。アメリカという国にはポテンシャルがある。封建主義じゃない。努力した人には努力しただけのものが得られる。日本もヨーロッパもそうですが名目にとらわれて本質を見失う事があります。

ですから折角アメリカにいるのですからビジネスにしてもスポーツにしてもアメリカ人を対象にした
事をやるべきだと思います。日本人を対象にしているのは砂漠で豆粒を拾うようなものですよ。日本人は他の民族にひけをとるところが一つもないのですから、もっと積極的にやっても良いと思います。

奥様を大変愛されているように感じますが

愛とは何だと思います? 私は相手に喜んでもらう事だと思います。女房も従業員もお客様も仲間も、愛すれば愛を返してくれる。そうすると人生は楽しくなります。

女房に関して言えば学校を辞めてもらってアメリカについてきてもらっています。日本にいれば辛い時や悲しい時に親や兄弟に泣きつけますが、アメリカでは誰もいない。だから大切にしていますよ(笑) 一緒にテニスやスキー、笛などもやっています。

成功の秘訣は何ですか?

私は成功なんてしていませんがね。自分でやりたい事を誰にも邪魔されずにやってこれた。人生を楽しんでる、という点では成功ですかね。人に迷惑をかけるような我が儘はしない。

私は何かピカッと秀でるものを見つけても持続出来ない。1等賞になる前に途中で飽きてしまう。次は何をしようと次から次へ挑戦したくなってしまう。だから金メダルが取れなかった(笑)


でも好きな事に躊躇なく飛び込む勇気は大切ですね。失敗したら直ちに方向変換すれば良い。少し矛盾するようですが常に決断し、実行する。決定の後ちょくちょく変更する人は成功しない。

ビジネスで言えばマラソンのようなものです。ビジネスは創作ですから頭の中のアイディア、モチベーションが種切れにならないように常に創り続ける。リサーチを充分にして80% 近くポジティブであれば進む。リサーチが不十分だと失敗してしまったり、プラスマイナス20% を越えてしまうと長続きはしない。持続力が大切です。


最後にシカゴのお薦めスポットをご紹介ください

飛行機など良いですね。シカゴは大平原ですから上昇気流が激しくない。空からものを見ると全く違う発想になります。カイトなども良いですよね。シカゴ程色々な事が安くて安易に出来る所はないじゃないですか? 

農業も良いですね。30マイルも走れば一面トウモロコシ畑です。今にも日が落ちそうな時の光景は素晴らしいです。

ドラッグレースやトットレースなども面白い。日本じゃなかなか出来ない事をやったら良いと思いますよ。


本日はご多忙の中、貴重なお話を聞かせて頂きまして有難うございました。

インタビュー後記
荻野さんはスキーの世界でもビジネスの世界でも素晴らしい結果を出された方です。かなりのご苦労や努力があった事と思いますが、それを臆面にも出さずユーモアをまじえながら楽しくお話しをして頂きました。お話しをお聞きするにつれ、好奇心がもの凄く旺盛でアイディアの豊富な方なのだと感じました。64歳というお歳は全く感じない程エネルギーのある方です。

体育会系の何をするにしても全力投球な所と人を楽しませるエンターティナーとしての違った側面をお持ちの所が荻野さんの魅力を一段と輝かせているように思います。お話しをお聞きしているとスポーツにもビジネスにも色々な点で共通項は多いのだなと感じます。60歳を越えてから体を作り直してインターナショナルな大会で銀メダルを獲得したり、大病を克服して事業を拡大したりとそのバイタリティには頭が下がります。

またストレス発散に飛行機に乗ったり、錦鯉を眺めたりととてもお洒落な趣味をお持ちです。折角アメリカにいるのだからアメリカでしか出来ない事をしようというポリシーにもとても共鳴出来ます。また、奥様をとても大切にされている事もお話しの端々に感じる事が出来、その愛妻家ぶりも素敵です。

個人的にはビジネスのお話しをもっとお聞きしたかったのですが、今は一線を引いているとの事で今回はスキーの話しを中心にお聞きしました。スポーツもビジネスも荻野さんのような方が後進の育成に益々力を注いでいかれる事が素晴らしい事だと思います。

今回もまた 素敵な方にお目にかかれて、お話しを聞く事が出来ました。何かワクワクするような、そんな時間を持つ事が出来ました。 お忙しい中お時間を頂き、大変有難うございました。

                                                            小坂孝樹
 

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