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アメリカで輝いている人 VOL.120

石原 身知子さん (Ms. Michiko Ishihara
ハリウッド 女優


アメリカで活躍されている方々にインタビューをし、その人の活躍の場、内容、素顔を通じ
よりアメリカを知っていこうと企画された “Brilliant People” 輝いている人!

第120 回目に登場いただくのは
ハリウッド 女優の  石原 身知子 さんです。

石原さんは、2009年ロサンゼルスに留学。2011年には初のハリウッド映画「ハロウィン・ハウス・ホラー」 にてジャパニーズエイリアンとして出演。現在は日本とアメリカを行き来する生活をしながら、女優として日米両国で精力的に活動中

−経歴−

埼玉県 出身

劇団青年座研究所卒業後、鳥取博覧会でのミュージカル・東京ディズニーランドのショーなどに出演

1998年 86倍の難関を突破して読売ジャイアンツのFire Girlsのメンバーとなる

「友情」 という舞台では、役作りのためにスキンヘッドになった。その後、大劇場の舞台へ進出

東京では明治座、帝国劇場、新橋演舞場、新宿コマ劇場、サンシャイン劇場、芸術座、名古屋は中日劇場、御園座、大阪は新歌舞伎座、松竹座、梅田コマ劇場、福岡は博多座など、日本全国主要都市にある大劇場にほとんど出演経験あり

その出演数は2301ステージ(2013年現在)、出演作品は、「大奥」 など50作品にのぼる

2009年 ロサンゼルスに留学

2011年 初のハリウッド映画「ハロウィン・ハウス・ホラー」のオーディションに合格
     物語のカギを握るジャパニーズエイリアンとして出演

     日本とアメリカを行き来する生活を本格的にスタート

2013年 6月 最もチケット入手困難な舞台の1つである東京軽演劇、三宅祐司さん座長「熱海五郎一座」の座員として、
      10年間の歴史の中で初めてSET以外の若手メンバーとして出演
     未経験だったヒップホップを克服し、ステージに立った



アメリカに来ようと思ったきっかけは何ですか?

33歳の時、ずっとお世話になっていた所属事務所を辞めて、将来についてものすごく悩んでいました。

誰に相談しても 「30歳を過ぎて、この俳優では食べていかれない状態を考えたら、辞めて別の仕事に就くか、マネージャーに転向するか、結婚するしかないんじゃないの」 と言われ  「何もチャレンジしていないのに何故辞めなければならないのだろうか?」 と何かすっきりしないものがありました。

色々考えているうちに、私の将来の答えは 「私が知らない未知の場所」 にある気がしたんです。

「日本で考えていても私が求める答えはきっと見つからない……。新しい場所に行かなければ探しているものは見つからないんじゃないか」 と漠然と思ったんですよね。

そんな中 「留学」 という選択肢が浮かびました。英語も全く話せないのにです。

そんな時、友人の紹介でお会いした人の中に、サンタモニカにいたことがあるという米国公認会計士がいました。その方は 「自分の会計士の資格証明の承認のサインはシュワちゃんなんだよ」 と言いたくてサンタモニカの話を持ちだしたのですが、私はそのことよりも、その方が話す、カリフォルニアの青い空や アメリカのスケールの大きさの話の方が心に響いてしまい 「私の行くべき場所はここだ!!」 と思ったのです。  

すると、その日の晩 「ハウスワーク付きの格安アメリカ留学」 というのを見つけ、アメリカに行くことを決めました。

最初にアメリカに来て驚いたことは何ですか?

いっぱいあるんですが……。やっぱり 「俳優をやっている」 というと返ってくる反応が日本と間逆なのが、一番大きな衝撃でした。

日本だと 「劇団? 大変でしょう・・・」 と暗いイメージでの反応が多いが、アメリカだと 「スゴイ! あなたもいずれは億万長者ね!!!」 とアメリカンドリームを彷彿させる輝きのある反応をしてくれます。

そして、アメリカにいる人たちは、誰も 「それは無理」 と言わず 「できるよ!」 と言うことにもびっくりしました。

日本だったら 「ハリウッド目指す」とか大きな夢を掲げると 「大変だよ」 「難しいよ」とか、上手くいかなかった人の話しを持ちだして 「あの人ですら無理だったんだから……」 と、チャレンジすることを辞めさせようとします。

でも、アメリカでは 「やりたいと思った時がその時」 だと考え、年齢を理由に制限をつけることはなく 「ミチコがやりたいのならできる!」 と言ってくれました。

最初のハリウッド映画に出るきっかけは何ですか?

最初の留学を終えて仕事のために帰国した後も、英語の勉強を兼ね、アメリカ在住の友人をたくさん増したくて 色々な SNS に参加しました。その中で知り合った1人が、私が初めて出た映画 「ハロウィーン・ハウス・ホラー」 の監督、マイケルです。

私が日本でやっていた時代劇や、着物姿の写真を見て 「君は面白いことをやっているね」 とメッセージをくれたのがきっかけです。

初めは彼が監督であることを知らなかったのですが、日本での仕事が終わり 「またアメリカへ行くよ」 と伝えたら、映画を撮影中であることを話してくれ 「ミチコも出演したかったら 着物とカツラを持ってオーディションに来て!」 と言われたんです。

英語もろくにできない私でしたが、おもいきりぶつかっていったらどんどん出番が増え、最初はエキストラくらいかと思っていたのに、映画ができあがるころにはメインキャストになっていました。

日本とアメリカの撮影や舞台の現場の違いはありますか?

日本の現場の方が、スケジュール通りに進むように動いていくので、その進み具合によってはピリピリ感がすごいんです。そしてスタッフの方々は死ぬほど忙しそう。いつもいつ食事を取っているのか心配になってしまいます。

しかし、アメリカは休憩に対しての意識が高いですね。皆、きちんと休憩する。現場の空気も冗談が飛び交い、笑いやユーモアがあって、楽しいです。

アメリカで通っているアクティングクラスについて教えてください

最初に留学に来た時の話です。帰国まで1ヵ月を切った頃、思い出したことがありました。

すご−−−−く昔に、文化庁の海外留学制度を利用して演劇の勉強をしようと思い応募したんです。応募に際して、留学先の 「受け入れのサイン」 が事前に必要とのことで、海外にコネクションがなかった私は、とりあえず片っ端からアメリカとイギリスの演劇学校に、めちゃくちゃな英語で 「受け入れてほしい」 とメールを送りました。その中で、唯一、サイン入りで返事をくれたスタジオがあり、それがロサンゼルスにあるエリック・モリス・アクティング・スタジオのエリックだったんです。

帰国前にこのことをふと思い出し、スタジオを調べたら、なんと、私がホームステイしていた家の近くということが判明しました。とりあえず、帰国前に覗いてみよう……と思い、スタジオにメールしてみたら 「いつでも来て!」  と返事。

そして見学だけ……のつもりだったが、あまりにすばらしいレッスン(英語は理解できていないが、そう感じた)だったので、自分もやりたくなってしまい 「1ヵ月だけでも来て良い?」 と聞いたら、エリックは快く 「いいよ」 と言ってくれたんです。

エリックのレッスンは、やりたい人が名乗りを上げてステージ上に立ち、エリックのメソッドに基づいた自分の課題を見せ、他の人たちはそれを見ている……というプライベートのようなスタイルでした。

でも、英語力のない私は、いつまでたっても前に出る勇気が湧きません。英語ができない私のできることは何か、それが分からなかったのです。

ある日、いつまでも名乗りをあげない私にエリックが 「じゃあ、次はミチコ」 と指名してきました。 足がすくみ、緊張で顔が強張る中、エリックのメソッドで一番の基本となる 「How do I feel」 をやるように言われました。 

「今、何をどう感じているか」
それを感じようとした瞬間、予想しないほど涙があふれてきました。そして私は言いました。

「私はとても悲しい、すごく悲しい」

そして続けました。

「私がもっと英語を話すことができ、理解できるなら、聞きたいことも聞けるし、伝えたいことも伝えられるのに」

客席はシーンとなりました。英語だけでは伝えきれない部分は日本語も交えました。

エリックもじっと見ていてくれました。

そして、私の演技が終わった後、エリックは、皆に  「日本人には 独特の ”耐える” 文化 と”思いを押し殺す” 文化がある。ミチコは、 その抑えた苦しい感情が溢れ出た時の姿を表現していた」 と説明していました。

そんな私の次に課題に立った女性がやはり涙を流してこう言っていました。

「ミチコは素晴らしかった。こんなに素晴らしいものを見せられたあとには、自分は何もできない。英語が完全でなくても、自分達はミチコが見せたものに衝撃を受けたし、異国に来てチャレンジしているミチコの姿とその勇気もスゴイ事だ」 と彼女はステージ上で称賛し続けてくれました。

でも、ボキャブラリーが少ない私は、彼女がどのように私を称賛してくれているのか理解できませんでした。なので、近くに座っていた生徒に彼女が使った単語を書いてもらい、後でその意味を調べてみました。

その中で、びっくりしたのは  「金の延べ棒」 という表現。 
彼女曰く……私は 「金の延べ棒のような」 才能を持っているらしい(笑) のです。

結果や内容がどうであれ、勇気を出して行ったことに対しては、こんなにスゴイ評価をしてくれる・・・
だから 「またやってみよう!」 と思えるのです。

今後のアメリカでの活動予定を教えてください

映画への出演が2本決まっています。1つはヤクザの話で、もう1つはお相撲さんの話です。現在、日本での舞台を終えて、今月ロサンゼルスに戻ります。その後、撮影に入る予定です。

あと、今まで日本でやってきた時代劇の経験を生かして、ワークショップや着物ショーにどんどん出演して行きたいなと思っています。

最後に、アメリカ進出を迷っている人たちへのメッセージをお願いします

アメリカは、勇気をだせば必ずポジティブな反応が返ってきます。

36歳を過ぎ、英語もろくにできず、ロサンゼルスには知り合いが1人もいない状態で初めての留学。回りの人たちからは 「それをやって何になる」 と何度も言われました。

でも勇気を出してやってみたら、自分が思いもしないほどの良い出来事と出会いました。

どんなことも、結果は自分の心が招いています。だから、いつでも明るく楽しく笑顔でいれば、良い出会いがたくさん廻ってきます。そういう生き方をしている人たちはたくさんいるし、そういう人たちほど幸運に恵まれています。 そして、様々な国の人たちと出会うことで、自分が囚われてきた物事の見方が覆されます。

心に正直に、誰かが決めたルールなんて無視して、素直に飛び込んでみてください!

チャンスはどんな形で現れるか分かりません。知らないだけです。自分がやりたいと思えば、何でもできるのです! そして 「私にもできるんだ!」  と気づいた時、更に幸せになります。

自分にとって嬉しい生き方をしましょう!!

今考えると、全ての出来事はつながっていたように思います。ロサンゼルスにいると、あれがこうなって、こうなってこうつながっていく……みたいなわらしべ長者的な出会いが多いです。居れば居るほど面白い出来事が起こります。

それができるのも、私を毎回受け入れてくれる愛すべき、面白い、お騒がせな我がホストファミリーのお陰です。彼らには、本当に心から感謝しています。

本日はご多忙の中、貴重なお話を聞かせて頂きまして有難うございました。


インタビュー後記

身知子さんと知り合ったのは、身知子さんが初めての留学に来ていた時です。

元気で明るい彼女の話はいつも面白く、引き込まれてしまいます。女優と言う 言葉を操る仕事しているので、話の展開や話し方がとても上手で、彼女の話はいつもワクワクします。

今回のインタビューでも、たくさんのパワーをもらいました。

大好きな友達である彼女のこれからの活躍がとても楽しみです。

インタビュー/芦刈 いづみ  構成/小坂孝樹


関連リンク

ホームページ http://michiko-ishihara.com/
出演作「ハロウィン・ハウス・ホラー」 http://youtu.be/TrF9xVqtkRQ
インタビュー動画 http://www.youtube.com/watch?v=VTz_fnTbO3E


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