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アメリカで輝いている人 VOL.118

榮枝 洋文 さん (Mr. Hirofumi Sakaeda)
NPO法人JaNet 理事長/Digital Intelligence 取締役


アメリカで活躍されている方々にインタビューをし、その人の活躍の場、内容、素顔を通じ
よりアメリカを知っていこうと企画された “Brilliant People” 輝いている人!

第118 回目に登場いただくのは
NPO 法人JaNet 理事長 / Digital Intelligence 取締役の  榮枝洋文 さんです。

榮枝さんはデジタル・インテリジェンスの取締役としてニューヨーク在住。 広告マーケティング業界で活躍するかたわら NPO法人JaNet 理事長ファイナス小学校で起業人や学生にお金やファイナンスの基礎を一緒に勉強したり、ニューヨーク一旗会を主催するなどボランティア活動にも積極的に参加されています

−経歴−

1965年 神戸生まれ
1989年 旭通信社(後にADK入社
1995年 ADK香港法人駐在
2000年 ADK米国法人経営 〜2012
2002年 米国コロンビア大学経営大学院(MBA)修了年 (平日は勤務し、夜と土日のプログラムを2年)
2010年 NPO法人JaNet理事長
2012年 デジタル・インテリジェンス取締役



2浪して大学入学、主席で卒業とのことですが、何か特別な努力をされたのですか

二浪ですから、同じ年で2年先に入学してる仲間と、1年前に入学した仲間の両方からコツを伝授してもらえる立場ですし、18歳の人たちに20歳の私が挑む、みたいな事ですので、大した事じゃない気がします。

ただし、それを教えてもらえる仲間が居た事は、宝だったかもしれないです。逆に、同じ事を高校時代に出来ていれば二浪せずに済んだはずで、でも二浪していなければ主席ではなかったと考えると、二浪が産んだ産物でしょうね。

現役&一浪とも、まったく勉強が好きではなく、偏差値
3540 程度の学校すら入れなかったので、そのまま就職するかの勢いだったのですが、大学生がみんなで海外旅行をしているのを見て、大学に行きたくなりました。

日本の大手広告会社(ADK)アメリカ法人CFO兼副社長から、
デジタル・インテリジェンスに 転職されたのは何故ですか


広告マーケティング業界に限らず、デジタル化による業態変化が激しく動いていますよね。

2000年頃のITブームの頃からデジタル・マーケティングへの興味や誘いはあったのですが、ニューヨークでの夢を果たしたく、ここまで来ました。
夢の成果が出たから、さー次に行くぞ ! そんなイメージです。

そもそも「ニューヨークに行きたい!」 から入社したようなもので、「ニューヨークに行かせないなら、会社を辞める!」と2000年の時に辞表を出したら、ニューヨーク赴任になりました。

無事、マンハッタンの頂点を極め、昨年、海外志向だった社長が国内志向の社長に代わった時点で、帰任命令。

このタイミング!と思い、デジタル・インテリジェンスの創業者と共に経営陣に加わりました。

ひき続きニューヨーク拠点を柱とし、デジタル・インテリジェンスの経営陣として活動する柱を加え、「ニューヨーク」という柱を生かしつつ、次は 「デジタル分野」という、業界の鍵と言われる二本の柱を持つことになりました。

デジタル・インテリジェンスの創業者は、日本のデジタルマーケティング業界の、ちょっとしたドンで、長く日本を離れている私にこのタイミングで声掛けしてくれた事も、千載一遇でした。

中国、香港、ロサンゼルス、ニューヨークと駐在されていますが、それぞれの思い出などを教えてください。
また、一番居心地が良いところは何処ですか

一貫して「ニューヨークに行きたかった」という座標を達成するためのステップが、海外としての中国・香港でした。

入社当時
TOEIC450点くらいだった私が「ニューヨークに行きたい」と言っても、「英語が出来ないじゃないか」となると、さすがに「どうしても行きたい」のパンチが弱かったのは、確か。「では、英語が“通じる”場所なら仕事をやってみせる」と、志願したのが香港(中国)でした。

東京でいくら
NHKラジオ英会話を毎朝聞いても、電車でブツブツやっても、英会話教室に週3回行っても、現地暮らしで英語をマスターした帰国子女の人たちに比べると差がつく一方なのを感じてました。海外に住まわれた経験のある方だったら、同じように思われるでしょう。 

現地でジャブン!と飛び込まない限り、英語の要件は満たされない。ならば一旦ニューヨーク行きの回り道でも「とにかく海外!」というステップを踏もう、と飛び出したのが
1995年でした。

この年は生まれ故郷の神戸に地震が起きて、妹だけが助かり、実家、家族が亡くなりました。地震で家が無くなったのは背水の陣でしたね。

ロサンゼルスは、当時のアメリカ法人の本社がロサンゼルスにあり、最初に所属、まもなくしてニューヨーク本社に移転した経緯があります。ロサンゼルスは私の第二の都市でもあります。

海外に生活されて何か変わりましたか。 また、日本との違いは何ですか

カラオケに付き合わなくて良い(笑) これは一言での例えですが。周りの人から「決まり」とか「昔から、こうしているから(従いなさい)」というのが不思議だった。殻を破りたいというより、みんなが子供心にもっているオトナの常識、がしっくりこなかった。

香港にまで行ってみると「おや、これは何かアリな自由がやっぱりあるぞ」と思えるようになり、ニューヨークに来て、「あるじゃないか、やっぱり、自由が」と思えました。

街にも社会にも、ルールも法律もある。秩序とは何か、という深い議論も沢山ある。この「意見が沢山ある」という状態を「自由」と表現しているのかもしれません。けっして暴れたい放題という自由ではなく、色んな意見があっても良いんだ、という寛容度ですね。

そして、古来の既成概念の少ない場所(海外)に住む事で、私自身が人に対してや物事に対する “寛容度が広がった” と思います。起こった出来事は全てアリだし、「物事そのものに、何も意味はなく、自分の頭で都合よく意味付けしているだけ」という気付きは大きかった。

日本に居る人にオススメな事として、「テレビを捨てる」。これでちょっとした「海外」が作れますよ。

全ての基準や考え方があり得ると思えるし、画一的なマスコミの報道に左右されない素養が身につくと思う。私は広告業界にいながら、この
10年テレビを持っていませんが、ネットの時代ですから不都合はありません。むしろ「これが流行り、常識」と思い込む癖は減るでしょう。

何故アメリカで働きたいと思ったのですか

英語を使って海外に行くと、いいだろうなと漠然と憧れていました。当時「アメリカ横断ウルトラクイズ」という番組があって、アメリカの色んな景色や街を見るのが大好きで、最終ゴールが自由の女神のあるニューヨークだったんです。このクイズに参加したくて、神戸からヒッチハイクしてまで、後楽園に参加に行った程です。

年齢を偽って、参加条件の
18歳に満たないのに、参加してました。3問目で敗退しまいましたが... 福留アナウンサーの名セリフ「ニューヨークに行きたいかー!」「オー!」というのが、未だに私の気分そのもの。笑えるのが、今やテレビを見ない私ですが、これって完全にテレビの影響ですよね。

広告業界に入ったのは、「周りの知人が誰も広告業界に居なかった事」。初めての事がやりたかったから、たまたまこの業界が「穴」だった。会社に入ってからの2大目標が、仕事を通じて「アメリカで仕事をする」「アメリカ英語を学校で学ぶ」。 広告業界を通して行くとなると、必然的にニューヨーク以外のチョイスはありえなかった。

だってそうでしょ、「アドバタイジング」業界なら、メッカは「ニューヨーク」。たとえばシカゴや、サンフランシスコ、メルボルンでは「広告業界の最先端」と言える気がしませんからね。目標地がだんだんフォーカスされていくのを感じました。

とにかく住んでる場所の外に出たい>海外に行きたい>アメリカに行きたい>ニューヨークに行きたい、と。
結果、ニューヨークで仕事や経営を実践し、コロンビア
MBAに行くことも出来ました。

広告戦略もIT化され、印刷媒体からデジタルメディアに移行されていますが、どう感じられていますか

どの業界も「激動」と言われているので、デジタルメディアへの移行そのものは、変化というより空気となってしまいました。標準値であり最低線ですね。他産業においても珍しいことではない。

例えば、カメラにフィルムは無くなったけれど、やっぱり人々がデジタルカメラを使っている事は変わってなく、それに違和感すらもない。なので表面では大変だと騒ぐほどではないが、地殻のビジネスでは、フィルムのコダック社は消滅したけれどピンタレストが登場している。

同じような地殻変化は広告&マーケティング業界に起きている。日本の広告業界は「さすがの電通」を除いて、2位以下が淘汰されるのは間違いなく、
2013年はすでに、相当数字で現れている。思ったのは、デジタル・インタラクティブ「部」を設置するような会社では地殻変動に追いついてなく、デジタルそのものが標準値である会社が良い。

今日、就職・転職をする方なら、コダック型の会社ではなくて、ピンタレスト型の会社で伸びる方がお得だし、当然の選択でしょう。私がデジタル・インテリジェンスの経営に参加したのも、同じ理由。昨年というタイミングは、今思うとベストで最後のチャンスだったと思えます。

榮枝さんが考える、自分らしさ、榮枝さんらしさとは、何ですか

私の名前(榮枝)は、ネットワークの繋がりの枝が、広がる、榮える、枝が繁榮する、と書きます。この繋がりを増やす支援になるのは私の面白みで「銀河と銀河を繋ぐ」という自分のスローガンをみんなに伝えてます。英語ではShow the World, Shock the World(新しい世界を見せてやろう、そして、世界にすばらしいショックを与えよう!)と言ってます。

繋がりを広げる、と聞くと、人的ネットワークを広げる事ですか?と思われるかもしれませんが、それは意味の一端に過ぎません。ほんとうの期待は、各個人の中に宇宙のように無限に広がる可能性と可能性を結びつけて起爆させる事。自分の中に「こんな事も、できるんだ」という宇宙に気づけば、新しい世界に繋がった感があるじゃないですか。その繋がりをアシストできれば、自分らしいなあと思います。

現在理事を勤められている JaNet について教えてください

ニューヨークにて活動するNPO団体で、日本語や日本を媒体にした仲間同士が相互にアシストし合える「ニューヨークで頑張る人を応援する」団体です。

ニューヨークの日本語コミュニティーには、伝統ある他の大きな団体に「商工会議所」「日系人会」「日本クラブ」などがあるのですが、実はこれらの団体は、大企業駐在員を中心とした、かなりのハイクラスの団体で、ピラミッドの頂点に君臨しているようなイメージ。

そのビラミッドの裾野に「私たち」が存在してる。 この「私たち」に、もっと実りのある活動を促進する事を目指しています。

具体的には「スモールビジネスの立ち上げ支援」「学生の就職支援、キャリアアップ支援」「無名アーチストのステージ作り」「各
NPOへの人的アシスト」です。志の高いボランティア達のおかげで、ニューヨークは「互いの知り合い」の輪」「自分の可能性の広がり」が増えていると思います。

現在の仕事の遣り甲斐、また逆にご苦労などを教えてください

「世界で最初の事」「唯一の事」をやる、というのがやりがいです。これは非常に時間がかかる。急ぎたくとも圧倒的に時間がかかる事が、我慢のしどころであり、苦労と言えるかもしれません。

デジタル・インテリジェンスは、日本のデジタルマーケティング業界のコンサルタントの企業で、私は拠点をニューヨークで活動しています。

デジタル・広告テクノロジーの分野で、日本企業がニューヨークでのスタートアップする活動を支援しています。これは、大半のマーケティングや日本の広告企業が、たいていアジア方面に向けて技術輸出、ビジネス進出をしている状況下において、アメリカ市場行きは皆無に等しい。アメリカは「最先端を輸入する」という位置付けに落ち着いています。

つまり、「風上」の位置付けですね。日本からアメリカに向けて輸出、進出するのは「風下から逆方向の風上へ」向かう流れであり、だからこそ難しいし、意外性と面白みがある。いきなりニューヨークに行くぞ!と志高く向かう会社を支援しているのは、嬉しいですね。

ニューヨークでデジタルマーケティングの事業をする事は、全てが、初めてで唯一な事になりえますから。現在、フリークアウト社や、ニューズ・ツー・ユー社、などのニューヨーク事業を支援しています。

いままでの人生の中で一番大変だったこと、悩んだ事は何ですか

現在の上記状況が「大仕事」だと思えます。悩む事、ではないのですが、「ひえー」と思える事が沢山ある。

例えば、企業の買収となると数百億円、数千億円の案件になります。「さーって、この資金と決断をどうするか」と考えると、気が遠くなる事はありますね。

それをどうやって乗り越えてこられましたか

現在思案中!!!こうして、メディアに取材してもらい、志を同じくする人に知ってもらう事は、これらの思案の実現化に協力してもらった事なので、感謝します。

沢山の賛同票を集める=人を集める=資金を集める、はかなり近い同義だと思えます。

一番嬉しかったこと、感動したことは何ですか

「ミスター・タイムズスクエア」を標榜し、タイムズスクエアのあの「年末カウントダウン」のビルに、てっぺんから3箇所も広告看板の長期契約が取れたこと。

夢のように思ってた事が、本当にてっぺんに広告が点った時は、「まじ」って思いました。
“ぽっ” と電源が入った時に、その価値をわかってくれるのがタイムズスクエアの数十万人の雑踏の中で、自分しか居なかった事。

自分の特殊な趣味みたいなものですから、そんな事が嬉しいと思える人は、路上には居ないですよね。嬉しかったですねぇ。メダルの無いオリンピックでしょうか。

2000年のミレニアムカウントダウンの時に、このカウントダウンのビルには日清のカップヌードルの看板がついていました。

覚えている人も多いと思います。あの看板とカウントダウンを見て「毎年が、世紀のイベントとして注目され、世界に発信するイベントって凄い」と思い、自分でやりいと思いました。


2000年に赴任してから7年経過して「やっと」てっぺんに看板が付き、年末のカウントダウンに「主催者」として運営に加われた。その年が丁度「カウントダウンが歴史で始まって100周年」だった。

そもそも、あれらの有名な名所の看板は1回
10年〜15年の契約なので、今日思い立っても空きのチャンスまでに最悪10年待たなければならない。実際7年もかかったし、7年で可能とも思ってなかったけれど、7年目にして「ホントウに点いた」 しかも3箇所!! というのは、周りのチームの協力やタイミングや、数えきれない事が一致していた。物凄い恵まれていた思う。どこか他の会社に先に取られば、また10年先になる訳です。

成功の秘訣は何でしょうか

寝る前に好きな事を沢山考える。

エッチな事でも、野望でも、好きな事をどんどん考えてる内に寝る事。

スポーツと同じで、セルフイメージが大事だ、最高のスイングをしているフォームを描けるとホームランが打てる、という仮説が正しいとするなら、そのイメージの時間を作ること。逆に、しょーもない「あーだ、こーだ
To Do List」は忘れる。

趣味、プライベートでは、どのような過ごし方をされていますか

「ファイナス小学校」という名前で、起業人や学生にお金やファイナンスの基礎を「いっしょに」勉強しています。

他にも「ニューヨーク一旗会」というスモールビジネスのスタートアップの会を主催してますが、その起業人たちが意外にも「バランスシート」程度の概念が無いまま、がむしゃらに働いてたりする様を見て、びっくり。

ファイナスを教える、というスタンスではなく、まず「気づく」事を目指して、講義・リードしています。特に告知をしている集まりではないので、参加者の間では、秘密結社の如く「
Eda小」と親しまれ、参加者が増えています。(昨年から東京のファイナンシャル・アカデミーも意義賛同してくれて、協力しあってます)

座右の銘 信条などがあれば教えてください

 銀河と銀河を繋ぐ

 Show the World, Shock the World!

これは2つとも、自分で考えました。言ってる意味は同じつもりなのですが、直訳じゃない所が気に入ってます。

脳のシナプスとシナプスが繋がるように、可能性に可能性を点火させる、その事によって、見たこともない結果が生まれ新しい無限の世界が広がる。その広がりはまるで銀河の如く、そして世界がそれに動かされ、感動を呼ぶ、というイメージです。

起業する人にとって一番大切なことは何だと思いますか

OPT, OPM, OPE

Other People’s Time, Other People’s Money, Other People’s Experience

自分一人で解決するのではなく、素晴らしい他人の力、資金、経験知識を活用する「意志」には、物凄い爆発力がある。裏返すと、任せる部分は任せて自分にしか出来ない事や時間に集中すること、大事にすること。日本で生まれ育つと、良い意味も悪い意味も「自分でやらなきゃ」という変な教えが漂ってる。

例えば、「コツコツ貯金をして、ニューヨークに来ました」と自慢する人には「おばかだねえ、どうして友達や親から借りて来ないの?」と、答えています。

「自分の時間を費やして、自分だけの独力で、貯金をする」というのは、自分の時間を低く見て、他人の協力を遠慮しているけらいがある。チーム作りが大切だとか、周りの人への感謝が大事だ、概念としてわかってるだけでは、結局自分だけの事しか考えてなかったりする。

周りの人を徹底的に感謝したおす、お願いする、お預かりする、くらいの勢いや「覚悟」が必要です。大きな橋は、一人では作れないし、大阪城は豊臣秀吉一人が建てたわけではない!みんなで力を使いあいましょう。

今後の目標、夢を教えてください。

世界で最初、唯一、一番、の事をする。あ“〜!と、「自分でうなる」事をやる。

詳細は言えませんが、ビリオン級の、みんなのシンボルを作る、という表現にしましょう。


本日はご多忙の中、貴重なお話を聞かせて頂きまして有難うございました。


インタビュー後記

お話しをお伺いしていると、榮枝さんはアメリカ それもニューヨークが本当に大好きだなぁ ということが良く分かります。日本にいたときに感じた違和感は香港に行って薄れ、アメリカに来られて自由を感じられた。

人に対してや物事に対する、寛容度が広がったと言われていますが、本来の居場所を見つけたということなのでしょう。

思い立ったら即行動。その勢いとエネルギーがタイムズスクエアのあの 「年末カウントダウン」 のビルのてっぺん広告を出すという夢を実現させた。

世代が近いこともあり、共鳴するところが沢山ありました。

今回もまた素晴らしい人のお話をお伺いすることが出来ました。 有難うございました


インタビュー・構成/小坂 孝樹

 

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